三人兄弟は何かと騒がしい。特に食に関する騒動が絶えない。我が家で最も争いを生んだ食べ物の一つにプリンがある。

 

 プリン、それは少年時代における最もうまい食べ物ランキングの上位に食い込む。一つでも多くのプリンを、兄弟よりもプリン多くのプリンを望むこの小さなコミュニティでは、金銀財宝に等しい価値がある。それがプリンだ。

 

 よく購入していたのが、3つ1セットになったプリン、そう「プリン三連星」だ。プリン三連星は「量産型プリン」と呼ばれる1つのプリンユニットが3つ集まって構成される。我が家において、プリン三連星は3人兄弟にぴったりの商品である。この商品により、プリンは兄弟すべてに平等に分け与えられる。しかも割と安い。そして量産型プリンはとてもおいしい。そのため、冷蔵庫によく入っていたものである。

 

 しかし、これを冷蔵庫に入れることは、3匹の飢えた肉食獣のいる檻に生肉を放り込むことに等しい。つまり、ジャイアニズムを信仰しているこのコミュニティでは、与えられた量産型プリンに必ずしもありつけるとは限らない。

 

 プリンは略奪される。略奪された者は、深い絶望に打ちひしがれる。そして、徐々に怒りがこみ上げる。公的機関が事件の捜査をする場合、十分な捜査を経て容疑者が絞り込まれ、証拠をもって犯人を断定するだろう。しかし、このコミュニティにそんな工程は必要ない。容疑者は自分以外の二人。証拠?そんなものは必要ない。つまり怒りはその他二人に向けられる。

 

 これが”兄弟喧嘩”の始まりである。そして、このプリンに関する兄弟喧嘩の理想形は裁判である。いかに相手に罪を認めさせ、親という裁判長に罪をとがめてもらうか、そして賠償してもらうか。これがスマートにできればよかったのだ。

 

 しかし、これは喧嘩である。喧嘩と呼ばれる所以 は、怒りのまま兄弟を攻撃するからだ。たとえ、冤罪であろうとそこに争いが発生する。賠償とかはひとまずどうでもいい、俺のプリンを(おそらく)お前が食って、そのため俺は不機嫌、だからお前に怒りをぶつける、それがこの喧嘩だ。