言の葉 | TAC-blog

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昨日12月8日は、僕が多くの影響を受けた

ジョン・レノンさんの命日でした。

 

当時1980年、僕は7歳。小学校一年生です。

ビートルズは、解散してから時間が経っており、

7歳の僕は、ビートルズの曲を誰の曲か意識することもなく聴いておりました。

 

思春期の頃になって、「あっ、この曲も、この曲もビートルズ?」ということの連続だった気がします。

 

1980年に起きたこの事件は、「人が死ぬ」ということを僕自身にはじめてリアルに感じさせた出来事だった記憶しております。

 

人が死ぬということが恐ろしくて、眠れなかった…

※これはウソです(^◇^;)

それくらい怖かったけど、たぶん普通に寝てた。

 

その数年後だったか記憶は定かではありませんが、

夕方にビートルズのアニメを放送していて、

海外のアニメ特有のタッチが幼い僕にはとてもグロテスクで、そのことと、

「この中の誰かが死んだ」という事実がシンクロして、

少しトラウマになるくらいの感覚があったことを憶えています。

 

そんな「ビートルズの中のひとり」くらいの感覚から、

「ジョン 」として再び意識したのが、

思春期の頃、友達から借りたジョンの白いアルバムでした。

 

それは、イマジンという映画のサントラ版でした。

 

ビートルズ時代のジョンレノンのエッセンスがたくさん入った曲から、

ダブルファンタジーに至るまでのソロ楽曲が入っており、最後の曲は「イマジン」でした。

 

長く長くアルバムを借りた後(^^;;

あらためてアルバムを買いました。

 

僕にとって大切なアルバムです。

 

当時のCDには、歌詞と一緒に訳詞が付いてるものが普通にあり、そこに書かれている英語の歌詞の浸透力(英語圏の人でなくても何となくニュアンスが伝わる)と、

訳詞に書かれている言葉の突破力というか、人間力というか、

普通はけっして人に見せたくない弱さや醜さ、

そして「幸せになりたい。」という恥ずかしいくらい

素直な心をアーティストとして表現してくれていて、

それは、当時の僕には作詞としてどうとか、

文章として素晴らしいかとか、わかりませんでしたが、

とてもとても、心が救われた記憶があります。

 

余談ではありますが、

当時僕は、

人と人とが重なり生きていくことが、

どうしてこんなに嘘が多く、

小さな頃に育てられた良心のようなものが、

こんなにも傷つけられるのかに、納得できなくて、

きっといろんなものを恨んでいたと思います。

そしてその自分の心の醜さ愚かさにも苦しんでいたので、

今の自分から見るとかわいいのですが、

きっとたくさん心洗われ、救われていたのだと思います。

 

そんなわけで、今日は、

あらためてご冥福をお祈りするとともに、

非常に多くの人の心に今も生きている

彼の音楽に最大限の尊敬を敬意を敬愛を送りたいと思います。

 

そして僕も、その葉脈の一端として、

良い音楽を奏で、作り、頑張っていきたいと思います。