、職人村ができたいきさつ
この度は国際総合ボランティアが縁で知り合った○○様紹介の○○会長には、わざわざ職人村展示会に御運び頂き、この場を借りて厚く御礼申し上げます。
今回は、その職人村について説明する機会まで与えて頂きました。しかし、上手く説明出来るかどうか。私としては非常に緊張しこの場から逃げ出したい心境ですが、尾形会長のご配慮に感謝し一生懸命説明させて頂きます。どうか御聞き苦しい点は何卒御許し下さい。
遅れましたが、私が職人村を立ち上げた山本隆央です。
本日の本題の職人村を何故立ち上げたかと云いますと、先ずは本業の話から順を追って話しせざるを得ません。
私はアパレル(繊維作業ですが)の下請工場として、ボトム(一般に言うズボンなどですが)と云われる製品を作っていますが、ご承知のように、繊維製品全体が商社を通じ中国製品に移行しています。中でも代表されるのがユニクロです。大型店が大量生産、低価格の製品を中国から大量に輸入する。その大波が国内メーカーの生産体制を変えてしまいました。工場発注が多品種、少量生産となり、さらに生産効率を上げること、また納期の短縮は当然のこととして求められてきました。こうした中で、当然のこととして、そうした状況に対応できない企業の倒産、廃業の知らせが耳に入るようになりました。
それは4年~5年前のことで、その後は個々の企業の自助努力での対応には限界がきてしまい、露骨な製品単価の引き下げと云う時代に入りました。3年ほど前から工賃単価は30%前後引き下げとなました。それでもなんとか生き残りをはかる都内の企業は、銀行からの借り入れにすがり、また、自分の分も含めて人件費の圧縮を図り、いじましいほどちぢんで生きているのが現状です。
そんな状況の中で、自分の仕事を単に生活の手段として考えるのではなく、職業として、その中に人生があり、生きがいがあり、守らなければならない文化がある、そうした存在として職業を再度見直す必要性を感じていました。
ある日、其の日も仕事が終わり、近くの喫茶店でコーヒーを飲んでいました。その時、たまたま他の客が座ったテーブルに、店員の運ぶ水が少しこぼれました。濡れたテーブルを何気なく見ていましたが、運の悪いお客だなーと思いながら、ふっと考えてみると、自分のことも案外身近な人からよく観察できているのではないか、これからどう生きるかということは自分たちの内職先や外注先をもう一度見直してみて、またその人たちから話を聞くことで、問題の整理ができるのではないか、と思いました。人間は単純なところで、普段なら何も感じないようなところで、突然何か気づくことがあるのですね。
そしていろいろな人に話を聞いているときに気づいた製品が有りましたので、早速営業を開始し多少なりとも新しい商品の受注ができるようになり、信用も得られるようになりました。

 

 『ものづくりネットワーク』By職人村

【参加者募集】

ファッションに関わるデザイナー・パタンナーさんたち
を格安にて『ネットワークページ』内にて格安紹介いたします。

参加していただいた方と共に【和&洋】のコラボ展を
開催し一人一人が自分のブランドポリシーを考えられる
ネットワークにしたいと考え提案いたします。