【古事記のあらすじと解説】

はじめに高天原があったと「古事記」に書かれるように、

高天原の子孫である天皇が天皇に即位する際、徳島県美馬市木屋平の三木家から皇室に神衣(かむみそ、服あらたえ)を調進されます。

この高天原からイザナギとイザナミは、国造りをするため、オノココ島(穴吹 舞中島)に降り、

ヒルコ・淡島(吉野川市(旧麻植郡)・善入寺島)へと広げ、

その後、淡路島から国が広がり日本国はできてきました。

国生みの途中、亡くなったイザナミノ命は、吉野川下流と上流の境、

岩津にそびえる高越山に葬られ、黄泉国から逃げ帰ったイザナギノ命は、阿南市見能林で禊ぎをしました。

その時、生まれた天照大御神と月読命は、高天の原(神山町)に送られ、スサノオは海原国(宍喰)に送られました。

しかし、スサノオは、海原を治めず、「母の国根の堅洲国に行きたい」と泣きわめいたので追い出され、

母の国へ行く途中に姉の天照大御神に挨拶するため高天原へ登り、

高天原で数々の乱暴を働いたので、天照大御神は、天岩戸にこもってしまいました。

困った八百万神は、天照大御神を岩戸より呼び出すため祭りをし、スサノオを追放しました。

吉野川流域に下ったスサノオは、高志八俣の大蛇を退治し、

スサノオの子孫の大国主命は、後に出雲の葦原中国すべてを治める長(おさ)となりました。

その後、豊葦原水穂国の高千穂峰に高天原から天照大御神の孫ニニギノ命が、

出雲を治めるために降ってきました。

その後、神武天皇は、鳴門海峡を渡り奈良に渡りました。

 

 

 

 

 
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