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takudora864のブログ

2014年11月~2022年9月、名古屋のタクシードライバー2年9か月、運行管理5年経験しました。その8年間歩んだ道。
これからもタクシー業界を続けるつもりですが他地域でやる所存です。

管理者生活5周年が目前というタイミングにおいて、8年近くにも及んだ名古屋のタクシー業界に身を置いた期間は終了した。終わってみればあっという間、しかしその中身というものは我が人生において相当な濃さであったということは間違いなく思う。

 

今はまた実家に帰ってきてこれからの為に活動をしている所である。実家は静岡県の東の方。ここで安定した収入で無期雇用というのは相当な難しさである。それは10年前に経験済みのことである。だからまた出ていかなければいけないっていうことはそうなのであるが、今回は名古屋〜一旦実家〜次の土地へ、ということになるので色々な難しさと大変さがある。

 

前々から考えていたことであるが、東京でタクシーをやるということにトライしている。3社応募して既に内定を2つ頂いた。しかし名古屋の様にバイトの面接以上にゆるいということはなく、しっかりとした面接があった。面接という行為自体に否定的な自分ではあるが、単に受かる為の面接ということではなく、その会社の真の一面をあぶり出す機会であると自分自身では捉えている。今回2社のうちの1社に関しては、雰囲気が非常に良い、変なのは一人もいないという所と言われていたが、その面接は重苦しく、これはいかんと思った。面接官がこれなのだから会社の雰囲気というものは自分に合わないんだろうと判断してしまうのだ。もう1社に関しては、意外すぎる程に面接官との会話がスムーズに進んだ。そして翌日内定のお電話を頂いた。しかしまだ保留である。どの位自分に内定を出す会社があるのだろうか、というのがある。会社選びが出来るというのもこの業界くらいではないだろうか?

 

内定を得られなかった1社は、健康面でいい印象を得られなかったことである。これは会社によって対応がまちまちなのでどうしようもないと思っている。

 

明日は初のWEB面接である。移動コストが掛からないのがメリットということになるが、実際の会社の雰囲気が分からないというデメリットもある。とにかく不安要素を持たない様に臨む。

 

 

過ぎればあっという間とは全くその通りで、入社して7年8ヶ月が経過し、内勤としては4年10ヶ月目が終わろうとしている。この11ヶ月ほどは夜当直オンリーであり乗務は殆ど無かった。前回エントリーは2月初め、コロナ第6波始まった頃だった。第6波って終わったの?という感じの中、まん防にて営業社員の出勤時間が早められたりした。再び不況により各自の心も荒んで、という状況であったが3月にはまん防が解除された。そこからコロナ感染者は減少していったものの、無くなったという状況ではない中再び営業社員の営収は伸びていった。そしてなんとなくではあるが総じて営業社員の心は穏やかになっていった様な気はする。

 

でも相変わらず、当方としては営業社員との闘いは終わることは無かった。入庫時間管理の厳格化がその一つである。入庫時間が遅れたら「入庫遅れ報告書」に加え「始末書」の提出を求める様になったのである。今秋からの労働時間短縮に備えた厳格化というのがその趣旨なのであるが、歩合制で営業する各位にとっては最後の実車が遠方であったことにより入庫の期限が過ぎてしまうことによるこれらの書類の提出が理不尽を感じることは言うまでもないだろう。これを書いたことにより入庫遅れが無くなるのかというとそうでもなく、何枚もの始末書を書くことにより、「書けばいいのだ」という風潮が漂っているという感じがしている。

また、私も過去に経験したモニター制度の理不尽。迎車の際のドアサービスが無いという評価になった場合は配車除外、さらには本社にて定期的に開催している外部講師による教育に行けという指示をしなければいけなくなった。お迎えというのは最近主流になりつつあるアプリ配車も含む。アプリ配車は道沿いに迎車場所が指定されている場合が多く、車両の到着を既に乗客が待っているという場合もあり、自動ドアの開閉による乗車がその場の情況により相応しくなるという場合は多数存在するであろう。そんな場合でもドアサービス必須で、それが自社で募ったモニターであってドアサービスが無かったという評価になった場合はマイナスの評価となってしまい、配車除外にて配車の機会が減る、報告書は書かなければいけない、そして教育にも行けと。この教育には手当を付けない。これでドアサービスが増えればいいのだろうか?ドアサービスを名古屋の過密なトラフィックの中で実施して、周囲に迷惑はかからないのか?営業社員がドアに出た時も危険が潜んでいるぞ?これまでは「シートベルト着用を依頼する」という声がけが無かった場合のみに適用されていたこれらのペナルティがドアサービスにも適用範囲が拡大されてしまうことは、アプリ配車が台頭してきている昨今の情勢に対しては何か腑に落ちないものを、指導する立場としても感じざるを得ないというのが正直なところである。それらを押し付けてしまえるのは我が車庫の特徴なのだろうか。他の営業所は営業社員が何かモーションを起こす様な気がするが、うちにはそういうことがほぼ無い。文化というものなのか。入庫時に当直の自分に対してべらんめえ口調で文句を言うのはいるけれど。

 

しかし、この4年10ヶ月というのは自分にとって最大級にストレスが掛かった期間であった。「あった」という過去形にするというのもまだ早いとは思う。とにかくよくがんばった。これからはこの経験を「生かす」というフェーズに差し掛かっている。というか生かさなければいけないのである。平成末期の、今になって思えば少し景気が良かった時期、令和に入ってオリンピックを控えた中での消費税増税で陰りが見えてきたと思ったらコロナである。振り返れば激動の時代であった。最新ではコロナ第7波とはいうものの、だから何も行動出来ないのだというのは言い訳にしかならないと思う。2日後には参院選、目下の不安はこれの配車がきちんと出来るかということ。勤務時間の適正化(短縮)、ナビ更新、相乗り、事前確定運賃、自社アプリ配車の大規模なアップグレード…これからも変化がどんどんあるだろう。それらが乗務員の不満増大を招くことが無いことを祈るのみだ。

2022年最初のエントリーは既に2月に入ってからの投稿となってしまった。年末バブル、あれは平時以上のものがあった。営業社員の機嫌は総じて良くなった様に思う。各自の営収が少なかったこの2年近く、小さなことでも営業社員達は癇癪を起こしたりした。入庫後の話といえば何キロも配車先に向かわされてキャンセルだとか、いろいろとネガティブな発言が目立った。しかし忙しい時期となればそういった文句は少なくなった様に思う。営収を競う各位の目はコンペティティブであった。でもいつの時もやはり文句は絶えず、配車が多すぎて困るということを言い出す…、いつになっても仕事というのは嫌な要素があるものだと思う。

 

大晦日から1月2日にかけては関東遠征を行った。11月に沼津に行っていたのでまた沼津に行くというのはつまらないという面があったし、コロナは収まっていた。東京のタクシーに乗ってみて接遇の違いというものがあるのか見てみたかったし、関東時代の友人と会う約束もしたのである。大晦日の夜行バスは超快適という訳では無かったが、寝ていたらあっけなく新宿駅前に到着していた。東京では4回タクシー乗車してみたが、こちらで厳しく言われている接遇に関しての言葉は皆無といって良かった。ジャパンタクシー車両が多いのだが、この人たちはスロープがちゃんと出来るのか?とか思ってしまった。4回の結果から推し量るというのも変だろうが、名古屋のうちのグループにおける接遇に関しては上であると思った。自己紹介に始まり、シートベルト着用のお願いもメーターの音声を消してまでドライバーがお声がけするというのは、東京ではまず無いのではないか。それに対してできていなければ報告書沙汰になるということを東京側が聞いたらどう思うのだろうか。

 

名古屋に戻ってからは寮を出て引っ越しする作業を進めた。引っ越しを検討する様になったのは12月の中旬位だったか。自分としてはまだまだ名古屋に居ることを運命付けられている、それを感じたから引っ越しを決意したのである。寮には七年二ヶ月居たこととなり、これは実家で生まれてから15年間4ヶ月過ごしたのに次ぐ、在住期間となった。安城から荷物を取りに来てくれるというのがVIP待遇だと感じたのが懐かしい。この業界のことを知らなかったからだが、そこからあの寮にて過ごした期間は、本来自立するための準備期間であったということになるのだが、自分自身自立出来たかというと実際はそんな風には思わない。関東時代には新築のマンションを借りて6万7千円、共益費3千円の家賃であったが、今回は築13年のレオパレスで3万1千円の家賃で共益費が6千円である。家具家電ありで内装はきれいであり、今の方が住み心地がいいのではないかと思うほどで有る。これが春になれば大学生が入居してきてうるさくなったりするのかもしれないが。

 

今はまたまん延防止に入り、営業社員達は日々の営収確保に苦労またはやる気を失っている輩が多いという状況になっている。しかし年末のバブルにて、コロナが収まれば経済はふっかつするのだということがこれで分かったかと思う。コロナ禍はタクシーを配車中心に、デリバリーなどの新規需要も掘り起こした。ここからが勝負ではないかと思う。私は当直対応でまだまだ続きます。

「コロナが収まればバブルになる」ということを誰かが言っていた。それが本当になった。少なくとも自分が今いる業界に於いてはだ。緊急事態宣言解除から乗務員の営業収入は伸び、年末としては感覚的には平成30年の年末並みと言って良いのではないだろうか。しかし会社という目線でみれば当時とは人員が減ってしまって稼働が確保出来なくて収入は減っているというのが現状である。乗務員としてはこの苦しい時期を乗り越えた反動で一息ついているといるのかもしれないが、会社側の人間としてみればまだまだ回復とは言い難い。令和2年~今年に入社した人にとって、市街地(名古屋でいえば錦三丁目)にて手がどんどん上がるという状況は初めてだっただろう。どんどん稼いで下さいということと、加えて事故クレームは起こすなよというのが管理者としての願いである。

 

もう7年も寮に居てしまったので、もう寮は出てアパートに住もうと思っている。リーマンショックが無ければ、関東に居たままつくばエクスプレス沿いに居を構えたかもしれない。しかし現実は賃貸に引っ越すこととなる。名古屋がこんなに長くなるとは想像すらしていなかったが、これからも名古屋というのが自分でも不思議である。元々の入寮期限は3年。入寮したのが2014年の11月なので期限をとっくに過ぎているということになる。自立して家賃を払えるようになるまでの3年なのだろうか、3年の根拠は分からないけれど寮に居続けても何も変化、進歩といったことは無いかと思いここで寮を出る決意をしたのである。当初の構想としては、高い営収を上げて人並み以上の給料を貰うところまでしか考えていなかった。実際は寮を出ることもままならない給料、であったがそれはノルマギリギリの営収だったからである。

 

来年は引き続き管理者をやることになるのだろうが、どこまで行けるのかは分からない。

2021年も、はや12月度を迎えた。同時に、名古屋に来て7年経過して8年目になってしまった。平成末期に、今思えば景気はよかった時期〜コロナによるどん底を経験して、また経済は復活するのかなという、振り返れば激動の時代をタクシー業界にて生きたということになるだろうか。営業社員の営収、11月度に関してはほぼコロナ前の水準となった。しかしコロナ前と違うのは稼働人数が日平均としては20人程度少なくなっているということがあって、営業所としてはまだ回復しているという感じは少ない。個人単位では満足なのだろうが、これが会社単位となると元の経営状態に戻る、例えば来年は食事会を開催しようかということにはならないであろうと思う。年末は乗務員にとっては稼ぎ時だろうが、同時に営収のノルマも上がるのではないか。コロナ前、令和に差し掛かった際の強気なノルマ設定である。もしそうなったらいくら年末といってもノルマ達成が出来ない乗務員が出てくるのではないかと危惧している。平均はあくまでも平均であって上も下も居るということである。平均が上向いてきたからノルマを上げようという会社側の論理が通用するのかと疑問に思うのである。しかし今のままのノルマになるのはあくまでコロナ禍の緊急なことであるからそのままにしておくのはなし崩しということになってしまう。入った頃は業界のことが分からなかったが、今になるといろいろと自分のいた環境に対して思うところがわんさか出てくる。

 

来週末は1年10ヶ月ぶりに地元へ行こうかと思っている。行っても何をするという訳でもないのだが行っておかないといけないという何か義務感のようなものがある。管理者としてはようやくもぎ取った有給休暇である。本当はあと3日、年度内に取得なのだろうが、出来るだろうか。次は正月ということになるが、コロナ第6波がこなければ関東に行ってみたいなとも思う。関東時代の友人やら、東京にいる親戚宅を訪問するといったことが出来れば良いのだが。