総会3日目はスタディツアーでした。
もちろんこの日も幹事の私はツアーガイド。
まず初めに、ただいま日本の援助で作られている空港。
滑走路を長くして、大きな飛行機もポンペイにこれるようです。
目玉は成田→ポンペイ直行便。
就航便が夏ごろに飛ぶけど、定期便にはならないかも?
普段は入れない滑走路。
端から端まで歩こうとしましたが、あいにくの雨。
マイクロバスで移動しました。
全員集合写真。
ポンペイには13人のボランティアですが、他州も含めると総勢27名。
意外といるもんだ、ミクロネシア。
続いてはパーンチャカイの滝。
ポンペイはいくつかの滝がありますが、ここは私も始めてでした。
前日に雨がふったので、かなりぬかるんでいましたが、歩くこと約20分。
見えてきました。
ひさしの高さは50m、幅は300mほどあるかもしれません。
滝の裏側に回ることができ、その洞窟にはコウモリが飛び交い、
その洞窟から滝側に目を向けると、水のカーテンが降りていました。
Pahn Takai(パーンチャカイ)はポンペイ語で「岩の下」という意味。
ここで、Idenen Seiloak(イテネン・セイロアク)と呼ばれる儀式を紹介します。
少し奥の岩壁に、石を積んだ小さな祭壇が設けてあり、周りに生えている葉っぱを摘んできて捧げます。
これは旅の幸運を願うために行うそうです。
ポンペイでは、いまだに魔法や呪術が人々の間で生きており、様々な儀式がとり行われています。
続いてはポンペイで1番有名な場所ではないでしょうか?
ナンマドール遺跡です。
ポンペイで1番偉いと言われている伝統酋長の家から息子にボートを出してもらいました。
船に乗ること約10分。
ナンマドール遺跡に到着しました。
1,500m×600mの長方形の海域に92もの島と、その上に玄武石の脊柱を井桁状に組み上げた、おびただしい数の建造遺跡が残されています。
これが、サウテロウル王朝の都で、政治と信仰の中心地だったといわれる、ナンマドールです。
建造されたのは西暦500年頃から1500年頃までとされていて、未だ遺跡の全容が解明されていません。
なぜ、水上都市でなければならなかったのか。
与那国の海底遺跡と同じでしょうか?
ちなみにNan Madolとはポンペイ語で「間(はざま)の地」
人間界と異界との間ではなかったのか?
私の学校の校長先生は
「日本の浦島太郎はカメに乗ってここに来た!」
と言い張っています。
最後はポーンパイプ、ペトログリフという所。
訳すと「岩の上の象形文字」
剣、太陽、月、人間、魚、人間の足を象ったもので、これらはどこか他の土地から移り住んできた人たちが彫りつけたのだと言われているが、いつ、誰が彫ったのかは正確には不明のようです。
そして、変わった形の石。
その石は昔、妻の浮気に怒った酋長がその妻を魔法で石に変えたものだと言われています。
(石はその妻の女性器にあたる部分と言われて、石に変えたとき妻の体はバラバラになり、今ではその部分しか残っていないのだとか)
とまぁ、未だに謎が多いポンペイ。
一度、訪ねてみては?