明日と明後日、京都の大聖寺で修復中の大礼服が公開されるそうですね。



公開期間2日間しかないのが悲しい😭


『憲法発布』 1904(明治37)年 土屋光逸画


大日本帝国憲法の発布の日に合わせて公開っていうのが良いですね。

修復プロジェクトをまとめる中世日本研究所(京都市)によると袖の形状などから、1890年ごろまでのドレスと考えられるそうです。

明治時代、宮中近代化のために招かれたドイツの外交官、オットマール・フォン・モールの回想録では、発布式の日の行事に臨んだ皇太后について「白地に金色の洋服」と記されていて、同日の行事が「着用した機会として最も考えられる」とのこと。



昭憲皇太后が1889(明治22)年2月11日の大日本帝国憲法発布式で着用した可能性が確認された大礼服


当時の着用時に近い立ち姿が服飾研究の第一人者による監修のもと再現されるとのこと。

今から約135年前に製作された大礼服の立ち姿での展示は生地への負担が極めて大きく、今回が最後となる見込みとのことで、ぜひぜひ拝見したいと思うのですが、明日・明後日はどうしても行くことができないので、せっかくの貴重な機会なのにホントに残念🙍‍♂️


昭憲皇太后御肖像


名前は美子。一条忠香の三女として京都で生まれ、1868(明治元)年12月に入内し、皇后宣下を受けた。1849(嘉永2)年4月17日生まれだが、天皇の3歳年上であることが「4つ目」として忌まれ、嘉永3年生まれとした。皇后として本格的に国民の前に姿を現し、1873(明治6)年には英照皇太后と共に富岡製紙場を訪問した。日本が近代化していく中、女子教育の育成、福祉や医療の推進に尽力した。とりわけ、初代総理大臣兼宮内大臣の伊藤博文が進める宮中改革に協力し、1886(明治19)年7月に初めて洋装で華族女学校に外出して以来、洋装で外国人と謁見するなど西欧流の新たな役割を次々と果たした。明治天皇の御真影が普及する明治20年代以降、天皇の外出が減る中、皇后の活動はそれまで以上に活発化する。1914(大正3)年に崩御。昭憲皇太后の追号が贈られる。明治天皇とともに明治神宮に祀られた。 



観に行ける方が羨ましいです。