宝塚大劇場 宙組公演『神々の土地』 ~ロマノフたちの黄昏~
![maxresdefault.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170904/02/takuchan-sing/12/35/j/t02200124_1280072014019772787.jpg?caw=800)
現在、公演中のコチラの主人公がドミトリー大公ということで
ロマノフ王朝の本ん読んでみたので、簡単に紹介してみます…。
![172825132323.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170831/22/takuchan-sing/25/d2/j/t02200310_0447062914017408501.jpg?caw=800)
ロマノフ王朝 : 帝政ロシアの栄光と革命に消えた皇家
第1部 王朝の誕生(ミハイルとアレクセイ
ソフィヤ・アレクセーエヴナ
ピョートル一世 ほか)
![172933144855.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170903/21/takuchan-sing/f4/3c/j/t02200293_0480064014019570898.jpg?caw=800)
ピョートル大帝騎馬像
第1部では当時16才のミハイル・ロマノフが皇帝に推戴され、
1613年にロマノフ王朝がロシア帝国を統治し始めたことや、
その子・アレクセイ、ピョートル大帝の娘・エリザヴェータが
統治した、帝政時代初期のことが第1部では書かれています…。
![Vocation_of_Mikhail_Romanov.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170904/00/takuchan-sing/63/61/j/t02200309_0712100014019745150.jpg?caw=800)
ミハイル・ロマノフの戴冠
でも何故16才の少年が推戴されたのかは分からないそうです。
前王朝のリューリク家のイワン4世の皇后がロマノフ家出身で、
ロマノフ家がリューリク家の外戚だったからではないか、との
推測が為されています。あくまで推測で事実かどうかは不明…。
![172933145847.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170903/22/takuchan-sing/79/fd/j/t02200293_0480064014019624285.jpg?caw=800)
1724年の即位式でエカテリーナ一世が着用したドレス
個人的に第1部ではエカテリーナ一世のドレスが一番印象的で。
豪華さもさることながら、エラくお肥りだな~と思って(^_^;)
あと「王朝草創期の宝冠」という特集ページもスゴく良いです。
![monomakhs-cap.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20171002/01/takuchan-sing/04/16/j/t02200205_0751070014039771504.jpg?caw=800)
モノマフの冠
モスクワ大公国ドミトリー・ドンスコイ(在位1359~89)
からロマノフ朝ピョートル一世までの、すべてのモスクワ大公、
ロシア皇帝の戴冠式で用いられた。かつてビザンティン皇帝の
コンスタンティヌス9世がキエフ大公ウラジミール・モノマフ
(在位1113~25)に授けたとされる伝説を持つが実際は
後世である13世紀後期~14世紀前期に作られたものである。
![skipetr-derzhava.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20171002/22/takuchan-sing/fc/c4/j/t02200165_0567042514040389290.jpg?caw=800)
ミハイル・ロマノフの冠と王笏と宝珠
![1ca9412cd544edbcf6e57f011218a39a.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20171002/01/takuchan-sing/89/be/j/t02200251_0389044414039771505.jpg?caw=800)
ピョートル大帝の冠
ピョートルは自身の即位に際し、最初は共同統治だったため、
モノマフの冠を自身のためにもうひとつ、つくらせてもいる。
![9500e34a24a218f69f144dbdc5bb3303.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20171002/01/takuchan-sing/1c/93/j/t02200294_0374050014039771509.jpg?caw=800)
アンナ・イワノヴナの冠
これもビザンティンの影響を受けたデザインで中心から2つに
分割され、頭頂部に十字架を戴いている。多くのダイヤモンド、
大きなスピネルで煌びやかに飾られた名品と呼べるものである。
![16278013565c4e5e3d22fb.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20171002/03/takuchan-sing/07/1a/j/t02200155_1024072214039792944.jpg?caw=800)
エリザヴェータが華麗な宮殿へと改築させたエカテリーナ宮殿
ピョートル大帝とエカテリーナ一世の娘エリザヴェータ女帝が
建てたエカテリーナ宮殿と冬宮殿も印象的ですね、やっぱり…。
![SPB_6373.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170904/07/takuchan-sing/63/32/j/t02200147_1024068314019827820.jpg?caw=800)
冬宮殿
特に冬宮殿は帝政時代はロシア皇帝の皇宮だったワケですし…。
![hermitage-jordan-staircase.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170904/07/takuchan-sing/be/63/j/t02200149_0616041714019827821.jpg?caw=800)
大使の階段(ヨルダン階段)
特に正面玄関を入って直ぐの『大使の階段』は有名ですよね~。
エカテリーナ宮殿と共に世界遺産に登録されている建物ですが、
両方ともエリザヴェータ女帝時代のものだったとはね( ̄O ̄;)
第2部 さらなる隆盛と革命の機運(エカテリーナ二世
アレクサンドル一世
ニコライ一世 ほか)
![172933145554.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170903/22/takuchan-sing/fa/ae/j/t02200297_0474064014019623534.jpg?caw=800)
ペドロパヴロフスク要塞の霊廟
ピョートル二世とイワン六世を除く、
ピョートル一世以降の歴代皇帝の棺が並ぶ
第2部はロシア帝国の皇帝専制の最盛期から衰退の始まりが…。
![EXHI029593_RGB.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20171001/21/takuchan-sing/7a/ec/j/t02200315_2071296114039558455.jpg?caw=800)
エカテリーナ二世
ロマノフ王朝 第8代ロシア女帝
(在位:1762年~1796年)
プロイセンのフリードリヒ二世やオーストリアのヨーゼフ二世、
そういった啓蒙専制君主の代表とされる。ロシア帝国の領土を
ポーランドやウクライナに拡大して、ロマノフ王朝の最盛期を
もたらした人物としてピョートル大帝以外で“大帝”の称号を
持つスゴい人ですが、情人を多数つくって愛欲絵巻を展開した
女性、という側面も併せ持つ人です。たとえば肖像画の王笏に
嵌め込まれたオルロフダイヤモンドなんか有名ですよね(^o^;)
![the-imperial-scepter.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170906/01/takuchan-sing/2e/13/j/t02200145_1000066114021190501.jpg?caw=800)
エカテリーナ二世の王笏
情人のグレゴリー・オルロフ伯爵が献上した189カラットの
一粒石のダイヤモンド。このダイヤを購入する為に、全財産を
注ぎ込んだにも拘わらず、女帝の寵愛を取り戻すことが出来ず、
発狂して死んでしまったという恐ろしいエピソード付きです…。
![orlov.JPG](https://stat.ameba.jp/user_images/20171001/21/takuchan-sing/4e/01/j/t02200259_0600070514039562353.jpg?caw=800)
大きなダイヤモンドには大抵コワイ逸話が付きものですよね~。
![5124ca3741aef57052bea69d3b43cc41.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20171001/21/takuchan-sing/29/a8/j/t02200301_1000136814039589226.jpg?caw=800)
エカテリーナ二世の王冠
「女帝ゆかりの宝物」という特集ページでエカテリーナ二世の
王冠や王笏なんかも載ってますが世界最大のレッドスピネルや
世界で4番目に大きいダイヤモンドやら、女帝のイニシャルを
あしらったブローチが載ってます。この時期がロマノフ王朝の
最盛期だったんでしょうね。後を継いだパーヴェル一世は暗殺、
孫であるアレクサンドル一世やニコライ一世の時代には王朝の
基盤が既に揺らいできているような状況になってますからね~。
![c64d06b6c26594acf9c2c7935d38d388.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20171001/22/takuchan-sing/48/39/j/t02200316_0400057514039630368.jpg?caw=800)
女帝の頭文字入りブローチ
エカテリーナ二世の“E”と“II”をモノグラムにデザインし、
その上部には、女帝の象徴でもある王冠の飾りが施されている。
銀製の台座にダイヤモンドが敷きつめられた、このブローチは
1770年~80年頃、サンクト・ペテルブルクでつくられた。
![1728332255219.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170906/18/takuchan-sing/ca/69/j/t02200293_0480064014021598583.jpg?caw=800)
アレクサンドル二世一家
ニコライ一世の後を継ぎ、皇帝となり、農奴解放などの政治の
近代改革を行ったが、拙速な急進的政治の反動から暗殺される。
![172833225311.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170906/18/takuchan-sing/50/aa/j/t02200293_0480064014021600868.jpg?caw=800)
アレクサンドル二世暗殺
1881年、A・ワルドによって描かれた絵が紹介されています。
皇帝の両足はちぎれ、眼窩は飛び出していたというその日の内に
首謀者は逮捕され、4月3日、絞首刑にされたそうです(ー_ー;)
第3部 帝政ロシアの落日
![172933145226.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170903/22/takuchan-sing/44/84/j/t02200293_0480064014019623538.jpg?caw=800)
玉座(冬宮)
そして帝政末期へ…。先ずはアレクサンドル三世の治世から…。
![92988001_alexandr_III5.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170906/21/takuchan-sing/13/3c/j/t02200284_0451058214021734759.jpg?caw=800)
アレクサンドル三世
ロマノフ王朝 第13代ロシア皇帝
(在位:1881年~1894年)
近接諸州のロシア化、異民族の抑圧策を強行。フランス資本を
導入して、シベリア鉄道を起工し、工業を飛躍的に発展させた。
![AlexanderIII_coronation.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170906/21/takuchan-sing/24/b2/j/t02200147_1919128514021734760.jpg?caw=800)
アレクサンドル三世夫妻の戴冠式
(1883年5月27日)
そういえばエルメスのCarreで《モスクワ大行進》がありますね。
![hermes-scarves-silk-scarves.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170906/23/takuchan-sing/33/14/j/t02200220_0736073614021815898.jpg?caw=800)
GRAND CORTEGE A MOSCOU
《モスクワ大行進》
アレクサンドル三世の戴冠式のときのパレードを描いた絵柄で、
とっても華やかでキレイなCarreだと思ってます♪ヽ(´▽`)/
![Grande_Cortege_a_Moscou_HERMES_Copyright.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170906/23/takuchan-sing/d7/98/j/t02200220_2048204814021822622.jpg?caw=800)
こんなに華やかな絵柄なのに実際は難しい時代だったんですね。
![Grande_Cortege_a_Moscou.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170907/00/takuchan-sing/0f/05/j/t02200220_2048204814021872214.jpg?caw=800)
元々、父親のアレクサンドル二世の影響もあって自由主義的で
優しい性格の方だったそうですが父帝の暗殺を受け、ガラリと
皇帝専制政治の体制を強めたそうです。それを長男で次の皇帝
ニコライ二世も受け継いでいくわけですが、歴史のうねりへと
呑み込まれてしまうわけですが、ニコライ二世の話は次回に…。
![maxresdefault.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170904/02/takuchan-sing/12/35/j/t02200124_1280072014019772787.jpg?caw=800)
現在、公演中のコチラの主人公がドミトリー大公ということで
ロマノフ王朝の本ん読んでみたので、簡単に紹介してみます…。
![172825132323.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170831/22/takuchan-sing/25/d2/j/t02200310_0447062914017408501.jpg?caw=800)
ロマノフ王朝 : 帝政ロシアの栄光と革命に消えた皇家
第1部 王朝の誕生(ミハイルとアレクセイ
ソフィヤ・アレクセーエヴナ
ピョートル一世 ほか)
![172933144855.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170903/21/takuchan-sing/f4/3c/j/t02200293_0480064014019570898.jpg?caw=800)
ピョートル大帝騎馬像
第1部では当時16才のミハイル・ロマノフが皇帝に推戴され、
1613年にロマノフ王朝がロシア帝国を統治し始めたことや、
その子・アレクセイ、ピョートル大帝の娘・エリザヴェータが
統治した、帝政時代初期のことが第1部では書かれています…。
![Vocation_of_Mikhail_Romanov.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170904/00/takuchan-sing/63/61/j/t02200309_0712100014019745150.jpg?caw=800)
ミハイル・ロマノフの戴冠
でも何故16才の少年が推戴されたのかは分からないそうです。
前王朝のリューリク家のイワン4世の皇后がロマノフ家出身で、
ロマノフ家がリューリク家の外戚だったからではないか、との
推測が為されています。あくまで推測で事実かどうかは不明…。
![172933145847.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170903/22/takuchan-sing/79/fd/j/t02200293_0480064014019624285.jpg?caw=800)
1724年の即位式でエカテリーナ一世が着用したドレス
個人的に第1部ではエカテリーナ一世のドレスが一番印象的で。
豪華さもさることながら、エラくお肥りだな~と思って(^_^;)
あと「王朝草創期の宝冠」という特集ページもスゴく良いです。
![monomakhs-cap.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20171002/01/takuchan-sing/04/16/j/t02200205_0751070014039771504.jpg?caw=800)
モノマフの冠
モスクワ大公国ドミトリー・ドンスコイ(在位1359~89)
からロマノフ朝ピョートル一世までの、すべてのモスクワ大公、
ロシア皇帝の戴冠式で用いられた。かつてビザンティン皇帝の
コンスタンティヌス9世がキエフ大公ウラジミール・モノマフ
(在位1113~25)に授けたとされる伝説を持つが実際は
後世である13世紀後期~14世紀前期に作られたものである。
![skipetr-derzhava.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20171002/22/takuchan-sing/fc/c4/j/t02200165_0567042514040389290.jpg?caw=800)
ミハイル・ロマノフの冠と王笏と宝珠
![1ca9412cd544edbcf6e57f011218a39a.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20171002/01/takuchan-sing/89/be/j/t02200251_0389044414039771505.jpg?caw=800)
ピョートル大帝の冠
ピョートルは自身の即位に際し、最初は共同統治だったため、
モノマフの冠を自身のためにもうひとつ、つくらせてもいる。
![9500e34a24a218f69f144dbdc5bb3303.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20171002/01/takuchan-sing/1c/93/j/t02200294_0374050014039771509.jpg?caw=800)
アンナ・イワノヴナの冠
これもビザンティンの影響を受けたデザインで中心から2つに
分割され、頭頂部に十字架を戴いている。多くのダイヤモンド、
大きなスピネルで煌びやかに飾られた名品と呼べるものである。
![16278013565c4e5e3d22fb.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20171002/03/takuchan-sing/07/1a/j/t02200155_1024072214039792944.jpg?caw=800)
エリザヴェータが華麗な宮殿へと改築させたエカテリーナ宮殿
ピョートル大帝とエカテリーナ一世の娘エリザヴェータ女帝が
建てたエカテリーナ宮殿と冬宮殿も印象的ですね、やっぱり…。
![SPB_6373.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170904/07/takuchan-sing/63/32/j/t02200147_1024068314019827820.jpg?caw=800)
冬宮殿
特に冬宮殿は帝政時代はロシア皇帝の皇宮だったワケですし…。
![hermitage-jordan-staircase.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170904/07/takuchan-sing/be/63/j/t02200149_0616041714019827821.jpg?caw=800)
大使の階段(ヨルダン階段)
特に正面玄関を入って直ぐの『大使の階段』は有名ですよね~。
エカテリーナ宮殿と共に世界遺産に登録されている建物ですが、
両方ともエリザヴェータ女帝時代のものだったとはね( ̄O ̄;)
第2部 さらなる隆盛と革命の機運(エカテリーナ二世
アレクサンドル一世
ニコライ一世 ほか)
![172933145554.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170903/22/takuchan-sing/fa/ae/j/t02200297_0474064014019623534.jpg?caw=800)
ペドロパヴロフスク要塞の霊廟
ピョートル二世とイワン六世を除く、
ピョートル一世以降の歴代皇帝の棺が並ぶ
第2部はロシア帝国の皇帝専制の最盛期から衰退の始まりが…。
![EXHI029593_RGB.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20171001/21/takuchan-sing/7a/ec/j/t02200315_2071296114039558455.jpg?caw=800)
エカテリーナ二世
ロマノフ王朝 第8代ロシア女帝
(在位:1762年~1796年)
プロイセンのフリードリヒ二世やオーストリアのヨーゼフ二世、
そういった啓蒙専制君主の代表とされる。ロシア帝国の領土を
ポーランドやウクライナに拡大して、ロマノフ王朝の最盛期を
もたらした人物としてピョートル大帝以外で“大帝”の称号を
持つスゴい人ですが、情人を多数つくって愛欲絵巻を展開した
女性、という側面も併せ持つ人です。たとえば肖像画の王笏に
嵌め込まれたオルロフダイヤモンドなんか有名ですよね(^o^;)
![the-imperial-scepter.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170906/01/takuchan-sing/2e/13/j/t02200145_1000066114021190501.jpg?caw=800)
エカテリーナ二世の王笏
情人のグレゴリー・オルロフ伯爵が献上した189カラットの
一粒石のダイヤモンド。このダイヤを購入する為に、全財産を
注ぎ込んだにも拘わらず、女帝の寵愛を取り戻すことが出来ず、
発狂して死んでしまったという恐ろしいエピソード付きです…。
![orlov.JPG](https://stat.ameba.jp/user_images/20171001/21/takuchan-sing/4e/01/j/t02200259_0600070514039562353.jpg?caw=800)
大きなダイヤモンドには大抵コワイ逸話が付きものですよね~。
![5124ca3741aef57052bea69d3b43cc41.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20171001/21/takuchan-sing/29/a8/j/t02200301_1000136814039589226.jpg?caw=800)
エカテリーナ二世の王冠
「女帝ゆかりの宝物」という特集ページでエカテリーナ二世の
王冠や王笏なんかも載ってますが世界最大のレッドスピネルや
世界で4番目に大きいダイヤモンドやら、女帝のイニシャルを
あしらったブローチが載ってます。この時期がロマノフ王朝の
最盛期だったんでしょうね。後を継いだパーヴェル一世は暗殺、
孫であるアレクサンドル一世やニコライ一世の時代には王朝の
基盤が既に揺らいできているような状況になってますからね~。
![c64d06b6c26594acf9c2c7935d38d388.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20171001/22/takuchan-sing/48/39/j/t02200316_0400057514039630368.jpg?caw=800)
女帝の頭文字入りブローチ
エカテリーナ二世の“E”と“II”をモノグラムにデザインし、
その上部には、女帝の象徴でもある王冠の飾りが施されている。
銀製の台座にダイヤモンドが敷きつめられた、このブローチは
1770年~80年頃、サンクト・ペテルブルクでつくられた。
![1728332255219.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170906/18/takuchan-sing/ca/69/j/t02200293_0480064014021598583.jpg?caw=800)
アレクサンドル二世一家
ニコライ一世の後を継ぎ、皇帝となり、農奴解放などの政治の
近代改革を行ったが、拙速な急進的政治の反動から暗殺される。
![172833225311.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170906/18/takuchan-sing/50/aa/j/t02200293_0480064014021600868.jpg?caw=800)
アレクサンドル二世暗殺
1881年、A・ワルドによって描かれた絵が紹介されています。
皇帝の両足はちぎれ、眼窩は飛び出していたというその日の内に
首謀者は逮捕され、4月3日、絞首刑にされたそうです(ー_ー;)
第3部 帝政ロシアの落日
![172933145226.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170903/22/takuchan-sing/44/84/j/t02200293_0480064014019623538.jpg?caw=800)
玉座(冬宮)
そして帝政末期へ…。先ずはアレクサンドル三世の治世から…。
![92988001_alexandr_III5.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170906/21/takuchan-sing/13/3c/j/t02200284_0451058214021734759.jpg?caw=800)
アレクサンドル三世
ロマノフ王朝 第13代ロシア皇帝
(在位:1881年~1894年)
近接諸州のロシア化、異民族の抑圧策を強行。フランス資本を
導入して、シベリア鉄道を起工し、工業を飛躍的に発展させた。
![AlexanderIII_coronation.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170906/21/takuchan-sing/24/b2/j/t02200147_1919128514021734760.jpg?caw=800)
アレクサンドル三世夫妻の戴冠式
(1883年5月27日)
そういえばエルメスのCarreで《モスクワ大行進》がありますね。
![hermes-scarves-silk-scarves.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170906/23/takuchan-sing/33/14/j/t02200220_0736073614021815898.jpg?caw=800)
GRAND CORTEGE A MOSCOU
《モスクワ大行進》
アレクサンドル三世の戴冠式のときのパレードを描いた絵柄で、
とっても華やかでキレイなCarreだと思ってます♪ヽ(´▽`)/
![Grande_Cortege_a_Moscou_HERMES_Copyright.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170906/23/takuchan-sing/d7/98/j/t02200220_2048204814021822622.jpg?caw=800)
こんなに華やかな絵柄なのに実際は難しい時代だったんですね。
![Grande_Cortege_a_Moscou.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20170907/00/takuchan-sing/0f/05/j/t02200220_2048204814021872214.jpg?caw=800)
元々、父親のアレクサンドル二世の影響もあって自由主義的で
優しい性格の方だったそうですが父帝の暗殺を受け、ガラリと
皇帝専制政治の体制を強めたそうです。それを長男で次の皇帝
ニコライ二世も受け継いでいくわけですが、歴史のうねりへと
呑み込まれてしまうわけですが、ニコライ二世の話は次回に…。