昨日は『終戦の日』でしたね。ホントは昨日、記事をアップする
つもりだったのに、うっかり直ぐ寝てしまったもので(;・ω・)

そんなワケでチョッと興醒めかも、ですが良ければご覧ください。

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東京四谷で玉音放送を聞き、涙を流す民衆

1945(昭和20)年8月15日正午、ラジオで天皇の終戦の
詔勅が流れ、日本の敗戦・降伏を知らされることになりました…。

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大東亜戦争終結ノ詔書

昨日(8/14)宮城事件に加わった、元・近衛兵の方のことが
ニュースになっていたので、今日は宮城事件のあらましなどを…。

宮城事件、玉音放送阻止へ偽命令 元近衛兵「慙愧に堪えない」福井新聞ONLINE 8月14日(日)8時42分配信 宮城事件について
宮城事件について「慙愧に堪えない」と
振り返る元・近衛兵の吉田さん=福井市

“宮城事件”とは1945(昭和20)年8月14日の深夜から
15日にかけて、一部の陸軍省幕僚と近衛師団参謀が中心となり
引き起こしたクーデター未遂事件のことです。映画化されたりで
まあ、ご存知の方も多いんじゃないかな~とは思いますけど!?

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映画『世界でいちばん長い日』ポスター

話は昭和天皇の“ご聖断”のところから始めないといけませんが。

8月9日、長崎に原爆が投下されたと情報があった後、午後から
臨時閣議が深夜まで行なわれ、その席上で、阿南惟幾陸軍大臣は
原爆にひるむことなく、『死中活を求むる戦法』を主張しました。
米内光政海軍大臣は「一か八か兎に角、戦ひ続けるのがよいのか、
極めて冷静に合理的に判断すべきである」と述べたとのことです。
明治22年に定められた内閣制度は政府の意思決定は閣僚全員の
意見が一致していることを条件としていた為、話は平行線のまま
進まず、鈴木首相は決定の遅延と内閣総辞職の双方を回避する為、
御前会議を開いて、天皇の御聖断を仰ぐことを決意するのでした。
昭和天皇に「終戦の論議の結論が、どうしても出ませぬ場合には
陛下のお助けをお願い致します」との了解を事前に得たうえで…。

8月9日午後11時50分、宮中の防空壕で最高戦争指導会議が
天皇臨席のもと、開かれます。しかし会議は紛糾し、膠着状態に。
そこで鈴木首相は立ち上がり「意見の対立がある以上、実に畏れ
多いことではありますが、私が陛下の思召しをお伺いし、聖慮を
以って本会議の決定といたしたいと思います」と告げるのでした。

昭和天皇は「朕は外務大臣の意見に賛成である」と裁断を下され、
その理由については、以下のようにお述べになられたそうです…。

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「従来、勝利獲得の自信有りと聞いて居るが、今迄計画と実行が
一致しない。又陸軍大臣の言ふ所に依れば、九十九里浜の築城が
8月中旬に出来上るとのことであったが未だ出来上がって居ない。
又新設師団が出来ても之に渡すべき兵器は整っていないとのこと。
之では、あの機械力を誇る米・英軍に対し、勝算の見込みはない。
朕の股肱たる軍人より武器を取り上げ、又朕の臣を戦争責任者と
して引渡すことは之を忍びざるも大局上、明治天皇の三国干渉の
御決断の例に做ひ、忍び難きを忍び、人民を破局より救ひ、世界
人類の幸福の為に斯く決心したのである。」

この御前会議の後、翌8月10日午前3時から首相官邸に於ける
閣議決定により「御聖断」を正式の政府決定にする手続きがされ、
外務省が「天皇統治・大権を変更する」要求が含まれないという
条件付で中立国のスイスとスウェーデンから『ポツダム宣言』を
受諾する旨の回答を連合国に発信しますが連合国からの回答文を
巡って、政府と陸軍とでその解釈について揉めることになります。

日本からの回答に対する連合国の回答は8月12日にありました。
そして“バーンズ回答”と呼ばれるアメリカのバーンズ国務長官
からの回答文の或る一箇所を巡って、政府内で一波乱起こります。

「the authority of the Emperor and the Japanese Government to
rule the state shall be subject to the Supreme Commander of
the Allied Powers(天皇と日本国政府の統治権は、連合国軍最高
司令部に従うとす)」という記述です。この点については外務省が
「subject to」を「制限下に置かれる」と訳しますが、陸軍省は
「隷属する」と訳し、国体護持が保障されていない、となります。

そこで、昭和天皇は自らの判断で御前会議の開催を要求されます。
8月14日午前8時に鈴木貫太郎内閣総理大臣に全閣僚と軍・民
の代表者の召集を命じられ、午前11時から始まった御前会議で
昭和天皇は、二度目の御聖断を下されることになったのでした…。

御前会議.jpg

「…私の考えは、この前申したことに変わりはない。私は世界の
現状と国内の事情を十分検討した結果、これ以上、戦争を続ける
ことは無理だと考える。国体問題について、いろいろ疑義がある
とのことであるが、私はこの回答文の文章を通じて、先方は相当
好意を持っているものと解釈する。先方の態度に、一抹の不安が
あるというのも一応は尤もだが、私は、そう疑いたくない。要は
我が国民全体の信念と覚悟の問題であると思うからこの際先方の
申し入れを受諾してよろしいと考える。どうか、皆もそう考えて
貰いたい。さらに陸海軍の将兵にとって、武装の解除なり、保障
占領というようなことはまことに堪えがたいことで、その心持は
私にはよくわかる。しかし自分は如何になろうとも万民の生命を
助けたい。この上、戦争を続けては結局わが国が全く焦土となり、
万民にこれ以上苦悩を嘗めさせることは私としてじつに忍び難い。
皇祖皇宗の御霊にもお応えできない。和平の手段によるとしても、
素より、先方の遣り方に全幅の信頼を置き難いのは当然であるが
日本がまったく無くなるという結果にくらべて、少しでも種子が
残りさえすれば、さらにまた復興という光明も考えられる。今日
まで戦争に在って陣没し、或いは殉職して非命に斃れた者、また
その遺族を思うと、悲嘆に堪えぬ次第である。また、戦傷を負い、
戦災をこうむり、家業を失いたる者の生活に至りては、私の深く
心配する所である。この際私として為すべきことがあれば何でも
厭わない。国民に呼びかけることが良ければ私はいつでもマイク
の前にも立つ。…どうか私の心持を良く理解して、陸海軍大臣と
総長は共に努力し、よく治まるようにして貰いたい。必要あらば
自分が親しく説き諭してもかまわない。この際詔書を出す必要も
あろうから政府はさっそくその起案をしてもらいたい。」

昭和天皇の素晴らしいお言葉に感動しますが快く思わない人も…。

そうした若手将校たちが「宮城事件」を引き起こすワケですが…。

(1)蜂起

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宮城 地図

反乱派は8月15日午前0時を期して、NHK放送局占拠に向かい、
その間に近衛歩兵第二連隊の通信中隊は宮城・紅葉山にあった
宮内省の電話設備を破壊。宮城と外部とを遮断してしまいます。

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玉音放送の録音に臨まれる昭和天皇

一方、近衛歩兵第三連隊長の佐藤好弘大尉は、宮内省庁舎を出て
4台の車に分乗した、下村情報局総裁兼NHK会長一行の車列を停め、
18名全員を拉致。下村総裁一行は昭和天皇の玉音放送の収録を
8月14日の午後11時45分に終えた帰路を襲われたのでした。
しかし彼らは玉音盤を持っていなかったので反乱軍は宮内省へ…。

(2)宮城占拠

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森 赳 近衛師団長

その間、森赳近衛師団長は蜂起に加わるよう説得に来た畑中少佐
たちに「近衛師団は天皇陛下直属の軍隊である。たとえ陸軍大臣、
参謀総長の命令であっても陛下のご命令以外では決して動かない」
と答え、頑強に拒否しますが、その場で殺害されてしまいます…。

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玉音盤のレコード

そして、近衛師団長印を押した命令書を偽造して、それをタテに
近衛兵を動かし、宮城を封鎖。玉音放送のレコード盤を破壊して、
終戦宣言を阻止するためにレコード盤を血眼になって捜索します。
こうして、深夜の宮城は未曾有の大騒動に陥ったのでありました。

(3)鎮圧

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田中静壱大将

宮城の占拠を知った、東部軍管区司令官の田中静一大将は事件の
鎮圧をはかるべく、宮城を占拠する芳賀豊次郎近衛第二連隊長に
師団長命令が偽造であることを伝えました。芳賀連隊長は部下に
即刻宮城から退去するように命じます。一方この時宮城を離れた
事件の首謀者の畑中少佐は放送会館へ向かい、徹底抗戦の声明の
放送を要求しますが「警戒警報が発令中の場合には、東部軍管区
司令部の許可が無いと放送できない。全国中継なら各放送局との
技術面の調整が必要になる」とかわされて、失敗に終わりました。

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近衛師団司令部(現・東京国立近代美術館工芸館)

午前5時、東部軍の田中軍司令官が近衛第一師団司令部へ向かい、
偽造命令に従い部隊を展開しようとしていた近衛歩兵第一連隊の
渡辺多粮連隊長を説得、部隊の展開を中止することに成功します。
そして、そのまま御文庫、更に宮内省へと向かい、反乱の鎮圧を
伝えました。午前8時前には近衛歩兵第二連隊の兵士が宮城から
撤収し、軟禁されていた下村総裁らも解放されます。というのが、
宮城事件のあらましなんですけど、ホントに驚きですよね(-_-;)

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侍従武官時代の阿南陸軍歩兵大佐。
銀色の侍従武官飾緒を佩用している。

一方、陸相官邸では8月14日深夜に阿南陸相が切腹自殺をして、
8月15日早朝に絶命します。遺書に「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル
昭和二十年八月十四日夜 陸軍大臣 阿南惟幾 神州不滅ヲ確信シツ
ツ」と記されていたということです。簡潔ですが壮烈な遺書で…。

最後まで抗戦を諦めなかったという椎崎中佐と畑中少佐の二人は
午前11時過ぎに二重橋と坂下門の間の芝生の上で自殺した、と
いうのが通説だが、ホントなんでしょうか?作り話のような気も。

たとえば森師団長殺害の件にしても警戒厳重な近衛師団司令部の
師団長室にどうして易々と入ることが出来たのか。不自然ですし、
同じ時間に近衛隊をNHKに向かわせて、近衛師団参謀を動かすのは
考えにくいこと。二人が自殺したとされている午前11時台には
既に皇居前に多くの人が集まっていて、目撃者が誰も居ないのは
不自然であること。10時10分頃に阿南陸相、椎崎中佐、畑中
少佐の3名の遺体を見た、という黒崎貞明氏の記録があること等。
この事件で生き残った人たちが作った“畑中主犯説”って気も?

色々と気になることも多いんですけど、もし、このクーデターが
成功していたら、戦争継続で更に多数の死者が出たでしょうから
取り合えず、クーデターは失敗してくれて良かったワケですが…。

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映画『日本のいちばん長い日』で畑中少佐を演じる松坂桃李さん

そういう意味で映画『日本のいちばん長い日』で松坂桃李さんが
演じた畑中少佐は良かったと思いました。明るい真面目な青年が
国を思う余り、暴走してしまった、的な感じで好感が持てます♪

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まあ、ホンモノより見た目がキレイ過ぎる気もしますけど(^o^;)

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また『日本でいちばん長い日』のDVDも観てみないといけませんね。