以前、雑誌で読んで開催を知った、コチラの展覧会のお話になります…。
今日が最終日なので、文化学園装飾博物館へ、ひとっ走りしてきましたよ
読んだ雑誌にも掲載されていた数々の素敵な洋服や伝統ある装束の数々…。
そして、『明治宮殿での暮らし』というエッセイに感化されてしまって…。
『かつて我が国が大日本帝国と呼ばれていた頃、帝都・東京の真ん中に
夢のように美しい宮殿がありました。明治宮殿ゆかりの豪奢なドレスを
ご覧になったら、そっと目をつぶり、耳を澄まし、想像してください…。
結い上げられた髪にダイヤモンドや宝石をちりばめた王冠を戴き、磨き
抜かれた床の上を滑るように歩く貴婦人のドレスの裾からこぼれ落ちる、
微かな衣擦れの音のことを…。
明治天皇は、近代国家の元首として率先して西洋文明を導入するその一方で、
従来からの伝統を頑なに守ろうとする一面をも持っていました。このような
君主のもと、明治の宮廷では、平安時代から連綿と続く「宮廷のみやび」と
新しく採用された西洋の宮廷文化が見事に調和し独特な様式美が花開きます。
それを最もよく表しているのが明治ニ十一年(1888年)10月に完成した、
和洋折衷様式の明治宮殿でした。宮内庁に残された写真によれば、各部屋に、
無数の花の形のランプのついたシャンデリアが垂れ下がり、床は日本伝統の
寄木造り。ヨーロッパから輸入された家具が置かれた部屋の随所には漆塗り
金箔が施されている、という具合なのです。
宮殿が最も華やぐのは新年祝賀の儀、正殿に大礼服をまとった皇后美子や
皇族妃が静々と現れると、いよいよ儀式の始まり。貴婦人たちの長い長い
トレーンを捧げ持つのは、白い絹のボンボン飾りが付いた紫紺天鵞絨製の
お揃いの衣装に身を包んだ学習院中等科から選びぬかれた美少年達です。
大陽の光を浴びて薔薇の蕾が開くように、降り注ぐシャンデリアの光を
存分に吸い込んで、宮殿の華・大礼服は更なる強い輝きを放っています。
西洋の宮廷文化を採り入れた儀式がある一方、神事や従来から続く風習も
従来どおり、いいえ、それ以上に宮中では重んじられていたのでした…。
とりわけ、11月に行われる新嘗祭は極めて重要。普段は着古した軍服を
着用する明治天皇も、この日ばかりは白羽二重の御衣に緋色の袴、という
古式ゆかしく、美しい装いで神殿に神々をお迎えしていらしたののです。
日常生活の場に於いても、なお一層、伝統は大切に重んじられていました。
明治天皇は電気を嫌われて、表御座所や御内儀と呼ばれる私的スペースで
ベルギー製の蝋燭の使用を命じていました。部屋の天井から垂れ下がる、
大シャンデリアや絨毯を敷き詰めた廊下のそこかしこに置かれた、雪洞に
蝋燭が灯されると揺れる火影に照らし出された幻想的な光景が浮かんで、
その美しさはたとえようもない。
御内儀では何より身分の差が大切。例えば、女官たちの服装も上位の者は
ドレスで下位の者は日本服との決まりもあり、更に髪型なども身分により
細かく規定がありました。
だからといって、明治宮殿での生活が堅苦しいというわけではありません。
明治天皇は冗談好きで茶目っ気があり、皇后や女官達を笑わせていたとか。
身分の差はあるものの、下働きを含めて宮殿全体が一つの家族のような
雰囲気に包まれていました。明治宮殿は近代都市・東京に忽然と現れた
源氏物語さながらの世界であると共に、そこで暮らす全ての人々にとり、
家庭のように居心地良い場所でもあったのです。』
う~ん、想像の世界に遊んでしまいます
展覧会の趣旨は……。
明治時代から昭和時代戦前期には、天皇を中心とする国家体制のもとで、
宮中に於いては皇族・華族に拘わらず、独自の宮廷服が着用されました。
明治政府は近代国家建設の為にヨーロッパの制度や文物を積極的に導入。
この一環として、洋服を宮廷服とすることが決定されました。また一方、
宮廷の儀礼や行事などでは伝統的な装束が着用される場合もありました。
宮廷の儀式や行事に応じ、天皇・皇后・皇族・華族・文官・武官を始め
身分によって着用すべき服飾が詳細に定められいて、これらの宮廷服は、
近代日本の一側面が示されているものと言っても過言ではないでしょう。
当時の宮廷服約80点が2階に洋装、1階に装束と展示されていました。
装束は平安時代から現代に続く十二単に代表される日本の伝統的衣裳です。
先ずは洋装編から……。
2階では、明治天皇ご着用のフロックコートに始まり、男子用の大礼服が
これでもか!というくらい数々の種類が展示されていて目を惹きました…。
明治天皇 在位:1868年~1912年
明治天皇ご着用<フロックコート>
フロックコートは1877(明治10)年に官吏の通常礼服として採用された。
明治天皇の場合は、私的な場や表御座所、内閣や枢密院の会議へ臨御の際、
フロックコートを着用し、政務では軍服を着用した、とのことです…。
今でも着れそうなくらい仕立ても生地も極上のものだな~と感心しました
明治天皇がお召しになられたという陸軍大元帥の軍服も展示されてました。
これは明治神宮のご神体ともなっている衣服で、門外不出であるところ
今回の企画展示の為に、特別に貸し出されてこられたものだそうです…。
また、宮内官や非役有位者の礼服の展示は大変珍しいもので、位階による
「違いのわかる」内容の展示になっていたのがスゴいと思いましたね~♪
特に武官・文官の礼装、勲章等は軍服の構造等を知る上で勉強になります。
勲章をつける為に、身頃と同色のテープが縫い付けてあったり、飾り緒を
留めつける金具がある場所をマジマジと拝見することが出来てよかった!
勲章が展示されているケースの中には女性のみ授けられる勲一等宝冠章が
展示されていて、ソチラも、とっても興味深く拝見させていただきました。
実物を初めて見たのですが国産の天然真珠のみを使用して桜花を表現した
意匠になっていて、女性らしい清楚でありながらも華やいだ印象でした☆
また、華族では、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の爵位によって、襟や袖に、
順に紫・緋・桃・浅黄・萌葱と立襟と袖口に幅10センチ程、色分けされて、
当時の日本社会に於ける、厳然たる階級社会を垣間見た思いがしましたね…。
それから、展示品は実際に着用されていたものです。着用者にあわせて
仕立てられていますから、凄くリアルに着用された方の体型が判ります。
非役有位者大礼服 渋沢栄一着用
渋沢栄一氏の服が非常に袖が短くて、不思議な感じがしましたねぇ…。
腕が短かったのかな?
そうかと思うと、非常に長身でスレンダーだったんだろうな~と思われる
海軍将校や士官の方の大礼服も展示されていましたからね。不思議です?
女子では、「マント・ド・クール」(大礼服)とトレーン(引き裾)が!
「ローブ・デコルテ」(中礼服)、「ローブ・モンタント」(通常礼服)、
「ヴィジティング・ドレス」(通常服)の4種を比較して見られるような
展示の仕方になっていて、何れもとっても興味深く観覧させて貰いました。
圧巻なのは、やはりコチラ。
昭憲皇太后(明治天皇のお后)在位:1868年~1912年
明治の皇后である、昭憲皇太后がお召しになられたという大礼服や中礼服。
昭憲皇太后ご着用《御大礼服》
大礼服=マント・ド・クールは宮廷女性の最高位の礼服で、皇后の場合は
新年拝賀や即位式、天長節の祝賀で着用された、とのことらしいですね…。
特徴的なトレーンは、長さ4メートル、幅は2.5メートルに及ぶものです。
成績優秀、容姿端麗な6人の学習院男子生徒によって捧持されたとのこと。
洋服に皇室の象徴である菊花を日本刺繍によって表した、
みごとな和洋折衷の美の昇華が見られる素晴らしいもの。
これは見ることができて、ホントによかったです~!
見たいと思っても見られないと思います、こちらは特に。
トレーンが大きいので、展示スペースもかなりのもので圧倒されました
流石は、日本女性の最高位の方がお召しになる服だな~と感動しました
絢爛豪華な明治宮殿にも相応しい、とっても華やかな衣装ですよね~
日本の宮廷服は服の形は西洋風ですが、織りや刺繍などで日本の伝統的な
モチーフを使っているのが独特の雰囲気で、非常に感心させられました。
所謂、“和洋折衷”ですね。
それからコチラの中礼服(ローブ・デコルテ)も素敵で、ウットリしました
1889(明治22)年2月11日に執り行われた大日本帝国憲法発布式で
昭憲皇太后が着用されたと伝えられる中礼服(ローブ・デコルテ)です…。
(奥の壇上に立たれているのが昭憲皇太后だそう)
羽根をリボンで束ねた文様を織り出した薔薇色の絹地は、
フランスの絹織物の名産地であるリヨン製、とのことです。
120年以上前のドレスなのに、羽はふわふわで保存状態の良さにも感心
その他、朝香宮ご夫妻の宮廷服など数々の華麗な名品が展示されています。
近代化推進のため、洋服を宮廷服とした明治政府ではありましたが、一方、
儀式によっては伝統的な装束を着用する場合もありましたし、身分制度を
廃止したものの新階級制度を作り、服装コードを身分ごとに詳細に規定し、
一目見ただけで、その人の宮廷に於ける立ち場が判るようにしたのでした。
宮廷服は、そんな近代日本のもう一つの顔を映し出してもいるのです…。
装束編へ続く…。