光市母子殺害事件「ドラえもん」発言に批難轟々
  1999年に起こった光市母子殺害事件の差し戻し控訴審が行われた。.......... ≪続きを読む≫



06月27日 ドラえもんから勇気をもらう の動画を見た人しかわからない話だが、



あの動画は、やっぱ消しちゃいけないだろ





いちおう 動画の筋を言っておくが、


未来の世界に帰ってしまうドラえもんに対して、

のび太は、「このままの自分ではドラえもんが安心して帰れない」と いじめっ子のジャイアンに立ち向かう

もちろん 簡単にやられてしまうが、 今日ののび太は違った。

夜になっても帰ってこない のび太、 そのうち 雨も降り出してくる

心配したドラえもんは いてもたってもいられず、 のび太を探しに行く


夜になり、雨が降ってきても、 のび太はジャイアンに食い下がる。

腕力では簡単に勝ってしまうジャイアンだが、のび太の執拗な態度に とうとう逃げ出してしまう

その姿を見ていた ドラえもんが、のび太に駆け寄ると

「ドラえもん・・ボク 勝ったんだよ。」 「これで 安心して帰れるでしょ・・」


ボロボロになりながらも 成長したのび太を ドラえもんは抱きしめ、涙がとまらない





これが ドラえもん である



特に 長く続いた、一般に知られる 旧ドラ (大山のぶ代ドラ) は、教育的思想が強いものであった




ドラえもん = 四次元ポケットを持った便利な存在

と 短絡的解釈をするのは ちゃんとドラえもんを見ていない人


似非 ドラファン である



こういう風に 上っ面だけで

ドラえもんを利用する奴は、 まったく許せない!




> 「早速、ドラえもんを有害図書に指定しなくてはいけませんねw」と冗談を書く人も。

という冗談の声も、こんな理屈で裁判が通るなら 冗談でなくなる感じがする






弁護団も 弁護団 である!


机上の勉強ばかりで、 「 ドラえもん = 便利ロボット 」 とだけの知識で


「これは 利用できる!」とでも 思ったのであろうか



まったく 許せない話である!






ゆとり教育の弊害が叫ばれる昨今、 なぜ それがいけないと言われたのかといえば、


たとえば、


円周率は 3.14 (有効数字2桁、以降省略) が、 数学的に とても意味のあることで

それを として教育したり、

いわんや 「おおよそ 3」 などと教育することは


もはや 数学ではなくなる のである





このくだりをつっこんでは話さないが、 法律の勉強のできた弁護士にとって

アニメ漫画は ゆとり教育程度の知識しかなく、 また それで良いと思っているのだろう

ゆえに このドラえもん論法が通ると見ているのだろう




が、




それは 士族のあるべき姿ではない!




試験にさえ通れば 士族である というのは 大きな誤りだ

試験に通るのは 当たり前だ



弁護士、税理士、操縦士、建築士 いわゆる プロフェッショナルと言われる 士族というのは

ありとあらゆる分野に精通してなくてはならない


いわんや、

自分の仕事に関わると思われる物なら、 そう判断した時点で


くだらないと思える物でもその場で学習し、

精通しなければならない





それができなければ 士族ではない





依頼人の弁護のためなら なんでも使うという姿勢は わかる


実務上、依頼人の勝利のためなら 倫理的道徳的正義感すら捨てるという立場も わからなくもない



が、



被告人が主張する ドラえもん論法 が 「その裁判道具として使えるかどうか」は

ドラえもんを正しく認識していれば 「これは 使えない」とわかったはずである


あきらかに 勉強不足である


ドラえもんを単なる便利ロボットと解釈することは

先の数学の話のように、

それは もはや ドラえもんではないのである






被告人は 強姦と殺人を犯し、被害者女性を押入れに詰め込んだほか、当時11ヶ月の幼児を

何度も叩きつけて惨殺した後、 押入の天袋に投げ入れているのである



ドラえもんは 押入の上部布団置き場に住み込んでいるのであって、

天袋には住んでいない



そんなドラえもんが 天袋の遺体を 「 どうにかしてくれる 」 はずがないのである



そんなことは、 あの殺人を犯した極限状態で ドラえもんを思い出すほど ドラえもんを見ているなら

必ず 思い浮かぶことであり、

被告人の主張するように「どうにかしてくれる」という発想の元で行動したのなら

天袋に投げ入れるなど、 絶対にありえない のである



人は極限状態に陥った時、「どうにもならない、誰か助けて欲しい」という極限状態になった時

思い浮かべるのは もっとも依存していたモノである

多くの人が 母親であろう。 父親や恋人である人もあろうが、仮に母親とするならば

「助けて、おかあさん」 と、まず第一に思い浮かべるのは容易に想像できるだろう

これは 動物的本能であり、自閉症であろうがパニック障害であろうが同じである

思い浮かべるのは最も依存していたモノ、自分にとって最も頼りになり 大切な存在である


そういう状況で、この犯人は 「ドラえもんが助けてくれる」と発想したと言うのである

親の顔より ドラえもんが脳裏によぎり、助けを求めたというのである


その言い分が正しいのであれば、 よほどマニアックに ドラえもんを見ている

親以上に大切な 大ファンだったということになるだろう

ウルトラマンでもない、仮面ライダーでもない、 ドラえもんだったと言うのである




しかし ドラえもんは、 単に物事を便利に処理してくれる物語ではない


それは 見ている人なら、 少なくとも18歳で、 あの状態で思い浮かぶほど見ている人物なら、

短絡的に うまく処理してくれるロボット話とは思えない


先に紹介した動画のように、 教育的であり、倫理的であり、感動的なものなのである

それは精神に障害があろうとなかろうと 「感じること」は そうである



そもそもちゃんと見ている人が、そのドラえもんを思い返すとするならば、犯罪を犯す前に

こんな(のび太みたいな)自分じゃダメだ。 ちゃんと強く生きていこう

と、あんな犯罪を 安易に犯すような人間にはならないはずだ

繰り返すが、精神に異常があろうが 心に染みて「感じること」は同じである

そこに共感・感動するがゆえに繰り返して番組を見るのである

心に障害を持ち、何かに依存したがる人なら なおさらその影響を受け、犯罪をする前に脳裏によぎる。

精神に障害を持つ人がトータル的に清い心の善人が多いのもわかるだろう


もし、「そこまで影響は受けていない。ただ単に ふと思っただけだ」と言うのなら

明らかに冷静である

精神上 どうこうだったから。 という理屈は通らなくなる





自分が思うに、あの犯人は ドラえもんを見ておらず、単に一般的な知識という記憶だけで

何年もたった今になって当時の言い訳に利用しただけとしか思えない



ゆえに、

あの犯人にも、 弁護士にも、 あの動画は見て欲しかったと思う


今一度言うが、 最初に紹介した動画のストーリーを、もう一度読んでみて欲しい

ああいう話である 「ドラえもんを見ている人」 が、 あんな犯罪を犯すであろうか?

精神に障害があったとしても、だ。

危機的状況で親以上に第一に思い浮かぶほど毎回見ているのなら、単純発想でも思い浮かぶとすれば

「うまく誤魔化してくれる」ではなく、「強く生きよう」と思い浮かぶであろう



アメブロさん、


今後似たような犯罪を犯すかもしれない子供に対しても、

また そのような馬鹿げた言い訳をする若者を出さないためにも


あの動画は

(番組そのものではなく、一部を抜き出したMADで、かつ1日で良いが90も付いた物だし)

黙認して消すべきではなかったと思いますよ


シメがおかしいですけど。