誰にだってある、今の車への思い入れ、思い出


戻ってくるだろうと思っていた車を 急に手放すことになり
いっぱいの思い出がこみ上げてくる そんな沢庵なのであった


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友人Mの言葉。


普通なら 廃車だよ
ただな、 おまえがエンジン積み替えてでも乗り続けるって言ってたやん
そんだけ愛着あるって知ってるからさ、どうしようかと思ってさ



そう、沢庵号は とっても愛着のあるクルマでした



真っ赤なスポーツカーと言い

こんなイメージに たとえた 沢庵号でしたが



正式名称は ホンダ プレリュード プライベートステージ (ミラノレッド)
第4世代目で、あの爆発的に売れた3代目の後継機にあたります


厳密には グラジュアリー・スポーティカーと言われ
スポーツカーの部類には入らず、 日本一のデートカーなどとも言われました



でも、とても いい奴でした




そして、 その リアルの姿は


まだ アルミもつけてないよ ・・・


(T_T) 沢庵号がまともに映ってる写真が この1枚しかありません




思い出させてくれるじゃねーかよぉー チクショー (T∇T;)


そうそう。 いっぱい いっぱい デートしたよね・・・
クリスマスにはさ

こーんな飾り付けしてさ、


窓には ショーウィンドウでやってるような 白いペンキで
MerryChristmas って書いて
夜景の綺麗な所で シャンペンあけたりなんかしてさ・・ (T_T) ワカカッタンダヨ



・・・ でも 君は 誕生日は当然、 普通のデート日でも10万のバッグをねだり
ファミレス・マクドは絶対イヤと、 毎回2万はする食事で
あたしゃ ガクブルの毎日でしたよ。。


って、彼女の話は どーでもいい 車だよ クルマ。






このクルマと出会ったのは、 いや 正確には 初めて見たのは まだ学生の頃だった


近所にあった ゆるやかな 小さな坂道
その横の、ブロックでちょっと高くなった駐車場に このクルマはありました
一目惚れでしたね


ちょっと下から見上げた この車は 真っ赤に輝いてました


いいな~ かっこいいなぁ~ ほしいなぁ~


毎日 毎日 そう思って見てました
通学途中、 ブロックに上って 緑のフェンスごしに 毎日 毎日そう思って見てた





月日は流れ、 社会人として そこそこ稼げるようになった頃
偶然、 この車をみつけました


中古車だったけどね、
昔みたように 真っ赤に輝いてて、 昔みたいに くぎ付けになってしまった


市場に出る前で 売る車じゃなかったけど、 無理言って見せてもらった
ドスンという 低い音で閉まるドア
キュルン、キュルルルルル・・・グォン という独特なエンジンスタート音
欲しい!ぜったい欲しい
それで 無理言って 売ってもらいました。





ちょうどその頃、 ウチには愛犬がいました


自己紹介にある犬と同じ、ヨークシャテリアで 名前はロッキー
前の愛犬です
ロッキーは車が好きで、機嫌が悪くても、体調が悪くても クルマに乗れば ゴキゲンになりました。
窓から顔を出し、髪をなびかせ、 風を浴びて走るのが大好きでした


そんなロッキーも もう老衰で、 もともと心臓が悪かったのですが その持病のこともあり
医者からは 「もう いつ死んでもおかしくない」 と言われてました
この頃には 自分から動くようなことはなくなり、いつもグッタリしていましたが
クルマに乗せてあげれば ゴキゲンになりました。


「 こんどのクルマはな、真っ赤なスポーツカーだぞ。 格好いいぞ。 ずっと欲しかったクルマなんだ」
「 あと1週間だな、 オマエ、一番に乗せてやるからな。 エンジンがいいんだ 音がいいんだ。 最高だぞ 」
「 それにな、今度の車は ドアに肘置きがある。 今よりも もっと良く外を見れるぞ」
運転中 そう言ってあげると喜んでいるように思えました


納車は朝一番でお願いしましたが、 その前日の午後 ロッキーは 冷たくなっていました


一度、 たった一度でいい。 乗せてあげたかった



でもね、ロッキー
かわりに いっぱい いっぱい いろんな人を乗せたんだよ


とーちゃん (@ ̄_  ̄@ )かーちゃん ( ==) とで 四国一周旅行にも行ったんだよ
あまり家族旅行ができなかった家族だけど、 3人で行ったよ


本当に いっぱい いろんな人を乗せたよ


仕事の人とか、友達とか、 語り尽くせないくらいの人達


ネットの人達で言えば 仲良くなって会いに大阪まで行ったりもしたな
順々に会って、地元の名所に行って ドライブしながら いっぱい喋って、 また次の人に会いに行って・・・


地元のオフ会では お泊まりで海水浴にも行ったな
そこで大きな傷つけられて、大騒ぎになったりとか・・
あ・・・そういえば Y助、まだ修理代もらってないぞ




ロッキーが いつも寝床にしてた ピンクの毛布を
ロッキーの代わりと、何かの役に立つだろうと いつも乗せてたんだけど
思い返せば ほんとうに 役立った


真冬の峠道、 通勤で通らなきゃならないんだけど、 凍結でスタックするたびに この毛布に助けられた
自分だけでなく、 動けなくなった人を何人も助けた
深夜の峠道だと、誰もいなくて そんな時に配達のトラックとかがスタックしてたら
「ありがとう。 本当に ありがとう これでなんとか間に合います」って喜んでた


みんな ロッキーが助けてくれたのかな


もちろん、助けられなかった人もいる。 交通量の多い片側3車線の国道で 対抗車線に
お婆さんが倒れてて、 その傍らに 車とお爺さんがボーっと立ってる
みんな無視してたけど、なぜか「行かなきゃ」と思って、 Uターンして声をかけたら
「この歳になって・・・やってしまった」と 動転して何もできない
ロッキーの毛布を敷いてあげて、脈を調べて、救急車の手配をして・・・・
結局 亡くなったって翌日の新聞で見たけど、 あの状況で「行かなきゃ」と思ったのは
ロッキーがそう言ったんだろうし、きっと ロッキーが天国まで連れて行ってあげてるはずだよ





事故といえば、 きわどかったことも何度かあったな


右曲がりのブラインドカーブの先で、 いきなりトラックが確認せず道に出てきて
その先には 対向車。 完全に前をふさがれた状態
普通なら 急ブレーキと思うだろうけど、 なぜか「行け」と言われた気がして アクセル全開で すり抜けた
両側ともギリギリで、加速しながらハンドルを切り、対向車のおじさんの顔が引きつってたのを今でも覚えてる
もし、あの時 無理に止まろうとしてたら、 止まれず ダンゴ状態で ぶつかってたと思う



いいクルマだったな



ABSも付いてなかったけど、 限界もわかる気がした
無茶な運転はしないけど、一度だけ 急ブレーキをかけたダンプを避けるため 高速状態でロックした
そんなコンマ何秒の状態でも ブレーキ抜いて、方向変えて また踏んで、 で 回避できる、
イザとなれば手足のように動くクルマだった


最後まで ぶつかって修理するなんてことは なかった




総走行距離17万数千キロ。 いっぱい走って、いっぱい いろんな人を乗せたけど
ぶつかったことはなかった



車が大好きだった ロッキーが ずっと守っていてくれたから









後日、 友人Mのところに 最後のお別れに行きました



前にMの所に行くときは、すぐ帰ってくると思ってたのに、 もう二度と この家には帰ってこなくなるなんて
考えてもなくて、 どうしても実感できなくて 会いに行きました


運転席に乗ってみると、 たったエンジンが止まっただけなのに、 陽に焼けた 内装のゴムの臭いがした
シーンとして 乗り手を受け付けない、 よく廃車置き場にある あのニオイがした


「 こいつ・・・ 死んじゃったんだな 」 って初めて実感した



それから エンジンルームを開け、 御神酒をかけてあげました


「 今まで ごくろうさま そして・・・ありがとう 」


最後に、ボンネットにも かけてあげると、 その雫は ライトをつたわり ポタポタと下に落ちました
それは お別れの涙のようにも思えました




ありがとう 本当に ありがとう




彼女だけでなく、かーちゃんも好きだと言ってくれてた沢庵号


いろんな人が 好きだと言ってた沢庵号




いっぱい いっぱい たくさんの人を乗せてくれて ありがとう


いっぱい いっぱいの思い出を ありがとう




ほんとうに ありがとう




そして



さようなら たくあん号