前回、破天荒な父親が連れてきた訳のわからない女の人とその人の猫との共同生活が始まりました。


継母が来たのは、6年の三学期、卒業式間近でした。


この頃はもうイジメも落ち着いて居て、(育ての親が校長先生と、教室に抗議に来てくれたので)学校生活はまぁ普通でした。


この頃私の家ではお米を仕込む当番は私の役目と決まっていて、父親が人工出しの会社をしていて、そこで働いてる人達が近所の、寮に住んでいて、夜になるとご飯を家に食べに来ていました。なので、1日で炊くご飯の量が半端無くて、2升分お釜2つ分炊いてました。


いつも夕方5時までにはご飯を仕込んで、その後は継母の荷物持ち&継母に悪い虫がつかないように監視する為に一緒にスーパーへ、この頃の父は物凄い嫉妬深くて、継母が一人で出かけるのは絶対許しませんでした。


そして帰宅して、継母と一緒に夕飯の準備、ご飯を食べて、寮に会社の人達を呼びに行って、帰って来てお風呂、皆がご飯を食べ終えたら今度は後片付け、お皿洗いと、お皿を拭いて仕舞う係があり、ルーレット式の票で、その日の皿洗い担当と仕舞う担当が決まります。何故か私も女だからと、そこに入れられていました。


そして、片付け等が終わり、私の寝る時間は9時私と弟が布団に入ると、父と継母は夜のデートにくりだしてました。


なのでこっそり起きてテレビをこっそり観てました(笑)


この頃はまだ、そこまで虐待は無かったのですが、小学校を卒業する前にまわってきた連絡網がきっかけで虐待の日々が始まります。


今考えると、この時が1番幸せだったなぁ、、、


どこで歯車が狂ったんだろ。


やっぱあの連絡網かな、、、


なんの連絡網だったのかは、父が電話を切ってしまったので、知りませんが、私の前のお家は男子だったのですが、男子から家に私宛に連絡が来たのに激怒して、父が継母から受話器をもぎ取ってぶち切りしたのです。


それがきっかけで、継母の女の部分が顕になり始めて、私の生別が女だからと言う理由で、虐待され始めました。


思い出したら頭が痛くなってきたので、詳しい話はまた次回綴って行こうと思います。