本当に踏んだり蹴ったりで、何のための試練なんだろうって思うけど。

ただ最近は少し達観している。観念的な話になるが、おれの一時的な悲しみとかは宇宙から見たら無いに等しく、当事者のおれにとってすらも、人生の終わった地点から見るとさして重要なことではない

そもそもが人の人生には価値というものが存在しない。
どれだけの偉人、歴史上の人物がいなくとも、今とは違うパラレルワールドになるだけで、
そのパラレルワールドの住人からするとその人物自体がいないわけだから、いてもいなくてもどっちでもいい。たまたまこうなっただけ。

人それぞれ平等なのはその無価値なとこだけだと思う


そう考えると、苦しみで悶えても、ある程度のことは別にって流せる気がしないでもない

大部分価値ないことわかった上で、己にとって一番の己の価値を見出すこと
それ以外はどうでもいい

とにかく悲観したところで、それだけの意味は無いってこと


果たして、この考えを実践できるかどうかが
「今年もいい年だったな」
と思えるかどうかの境目だ

それすらもどうでもいいんであるが。