双頭のVoに官能的G及びオルガンが絡むニューロックの先駆けとなる日本のバンド /ピッグ | ハードロックは我が人生そのもの

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70年代のハードロックはバンドによる個性もあって、独特なサウンドを創り出しています。その中で特に印象に残ったバンド、あるいはこれだけは是非聴いて欲しいと思えたアルバムを、これから随時紹介していきたいと思います。

PYGは一時代を築いたGS(グループサウンズ)が解体した後誕生したバンドの一つで、Voがジュリー(沢田研二)及びショウケン(萩原健一)、Gが井上堯之、Kbが大野克夫、Bsが岸部修三、Dsが大口広司のラインナップから成るもの。メンバーの中では既に故人となられた方も数人いるが、G及びKbは後に井上堯之バンドとして活躍して更に名を成した。二人のVoに関しては日本人であれば世代を超えて知らない人は誰もいない筈。これから紹介するアルバムはピッグが唯一71年に残したスタジオ・アルバムで、同年に録音されたライブ盤もリリースされたが、この二枚を残してメンバーは役者やソロ活動に入り、バンドは自然消滅した形となった。

その内容は歌メロがタイガースとテンプターズを経て来ただけに、少しGSを引き摺った感は否めないものであるが、確かな演奏力に支えられた楽曲におけるバック・サウンド自体は70年初頭のニューロックに近いもので、オルガンやGに自己主張する場が与えられた、明らかにハードロック・テイスト満載とも言えるサウンド。サウンドを決定付けているGはブルースやR&Bに根差された事が判るもので、ファズ音とは一味異なる艶のあるG音で、速弾きソロとは無縁とも言える官能的とも眼に映るブルージー且つ泣きまくるメロディアスなソロを連発、オルガンは伴奏として全編に渡って絡んでくるが、時には曲の背景として、時には主旋律を奏でながら的を得たソロと縦横無尽の活躍。それを思えば二人の強力なVoによる歌メロさえ無ければ正にオルガン・ロックと言った処。このメンバーの中にあってそれとなく光っているのが、意外にもその中では一番地味と感じられたBsの岸部修三で、ピックで的確に刻むリズムもさることながら、よく練られた事の判る歌心溢れるベ-スラインが特に印象的で、ライブ盤を聴けば多少オフ気味の録音ではあるが、ウネリまくるBsのカッコ良さで腕の程は充分判る筈。これだけ弾けるのにミュージシャンを廃業したのが実に勿体無いばかり。

リズム隊を担うDsは同年におけるライヴ盤を残して脱退したが、GSを引き摺るノリ切れない平凡過ぎるドラミングは明らかに技量不足と判るもので、最初から名前を先行させたキャスティング・ミスと言った処。その後井上堯之バンドがサムライを経てバンドに合流した原田祐臣を起用した事でも判るが、個人的にはそのハードロック然としたメリハリの効いた小気味いいドラミングが大好きな一人。

    当時のシングル盤「自由に歩いて愛して」

アルバムにおける楽曲はブルースをベースにした長尺バラード「安らぎを求めて」から「自由に歩いて愛して」といったアップテンポのナンバーまでバラエティに富んだもので、アレンジの素晴らしさから来るものか捨て曲もなく全編通して聴けるのは最大の値打ち。Voに関しては言うまでもないが、楽曲においてポップ・センスを醸すのはジュリーで、このアルバムでも井上堯之バンドをバックに従えたソロ・アルバムでも実証済み。もう一方のVo/ショウケンも役者をしながらソロとして活躍したが、ブルース・テイスト溢れる歌いまわしはこのアルバムも含めて、柳ジョージと組んだバンドでも存分に発揮されている。自身はブルース・ロックを歌わせれば、類稀な表現力でショウケンの右に出るVoはいないと思えるほど大好きなアーティストの一人で、早世された事が非常に惜しまれる。

 

 71年1stアルバム  71年ライブ盤

 

ライブ盤はカバー曲を含んだもので、当然スタジオ盤と被る曲もあるのですが、カバー曲だけに限ればジュリーのVoはその声質や歌いまわしもあってか、ハードロックには全くマッチしておらず、選曲の良さもあってかショウケンのVoの方がハードロックとしては馴染んでおり特に輝いて映りました。結果的にはどちらもお薦め出来るアルバムですが、メンバーがどういった人達であるのか?あるいはこの当時のサウンドに触れた事の無いヤングジェネレイションの方には、当時の音楽状況を知って頂く為にも是非一度聴いて頂きたいと思います。このアルバムにおける井上堯之と大野克夫がどれだけ歌心溢れる優れたミュージシャンであったか、あるいはアレンジャーであったのかは自ずと答えが出る筈です。