以前、

NHKのEテレの

知恵泉という番組で、

松平家忠の日記のことをやっていました。

 

その続きで、歴史の各事件を見ていきます。

 

<石川数正の出奔>

徳川家のナンバーツーともいえる

家老・石川数正が裏切った。

 

家康と一触即発の状況にあった

秀吉のもとへ 突然、出奔した。

 

徳川家中は上を下への大騒ぎ。

 

家忠も駆け出す。

だが、

向かう先は浜松城ではなく岡崎城。

家忠は自分の領国、深溝から岡崎城へ向かった。

神君・家康公は浜松城にいたわけで、

その指示を仰ぐため、浜松城へ向かうか、と

思われたが、

家忠は岡崎城へ向かった。

 

 

数正は徳川の重要拠点の岡崎城の城代であった。

 

 

城の責任者の不在は防衛上、大変まずい。

 

これに気づいた家忠は

急ぎ岡崎城に入り、守りを固めた。

 

3日後に

岡崎城にやってきた家康公から、

早く来たことをほめられた。

 

この資料の上の方に、

「他の者よりもわしが先に到着した。」と

書かれていて、

日記の中で、自慢している。

 

神君からほめられ、うれしかったんでしょうね。

 

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昨年の大河ドラマでは、

石川数正は

出奔の前に

「私はどこまでも殿といっしょでござる」と

いっていたのが

思い浮かばれます。

 

数正は徳川家のためを思い、

出奔したもの、とわかり、

家臣団一同、泣き崩れた。

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 神君を愛し、岡崎を愛した石川数正である。

出奔の理由、真相は闇の中でありますが、

大河ドラマで描かれたストーリーが

真実である、と思いたい。