先日、NHKのEテレを見ていたら、

 

木村多江さんの

「いまさらですが」という番組で

源氏物語などについて

解説していたので見てしまいました。

木村多江さん、素敵ですね。

 

その中で、

藤原道長の人生についての説明がありました。

 

 

 

藤原道長は

966年、藤原兼家の五男として生まれました。

 

 

 

 

 

987年、22歳ころ

左大臣・源雅信の娘・倫子と結婚しました。

 

(---大河ドラマではまだここまでですね---)

 

 

996年、31歳、
自らも左大臣へと上り詰めます。

 

 

道長の娘・藤原彰子を

一条天皇の元に嫁がせました。

 

 
 

彰子が天皇の子を産むことで、

次の天皇の祖父となった。

 

 

 

しかし、

一条天皇には、彰子より11歳年上の正妻である

中宮・定子がいたため、

 

 

幼い彰子よりも
定子を ちょう愛しました。

 

 

それに、

定子には

清少納言などを擁する

教養の高いサロンが

一条天皇を楽しませていました。

 

 

 

しかし

その数年後に定子が皇子を出産しました。

 

1001年、定子は失くなってしまいます。
 
 
道長はサロンを充実させ、
天皇が彰子のもとを訪れる機会を
増やそうとしました。
 
そこで、白羽の矢が立ったとされるのが
紫式部でした。
 
道長は学問への関心が強い
一条天皇のために
紫式部によって
彰子に教養を身につけさせ
 
 
また彰子のサロンから
「源氏物語」を発表することで、
 
宮中の注目を集めようとしたのです。
 
一条天皇を囲む関係図。
 
 
(道長と紫式部の関係が浮かんできますね)