[岡崎市の東隣 豊川市]

 

平坦な畑の向こうに少しこんもりとした部分。

伊奈城址。

伊奈城址公園になっているんですね!

 

 

 

お堀と逆茂木の址があります。

 

 

縄で囲われた

植物?

 

これが葵の葉なんですね!

 

徳川家の御紋の発祥ゆかりの地なんですね!

伊奈本多家の家紋は「立ち葵の紋」で、

これは「二葉葵」という植物を紋章にしたものである。

 

この「二葉葵」は京都の賀茂神社の神紋とされてきた。

本多家の先祖の中務光秀(なかつかさみつひで)が

賀茂神社の社職であったことから、

「立ち葵の紋」の紋を

本多家の家紋としたといわれている。

 

1529年、岡崎城主・松平清康(家康公の祖父)は

吉田城(豊橋市)を攻めた。

当時の伊奈城主の本多正忠は清康軍に参加し、

先陣を切って東門を破り、城を攻め落とした。

ついで清康は軍を田原譲へ向かわせたが、

城主の戸田氏が降伏したので、

正忠は直ちに清康を招き、伊奈城に凱旋し、祝宴を開いた。

 

 

この祝宴に、正忠は城下の花ケ池にあった

水葵の葉を敷いて酒肴を出したところ、

清康はたいそう喜び、

立ち葵は正忠の家の紋なり、此の度の戦に

正忠最初に御方に参て、勝軍しつ、

吉例也、賜らんと仰ありて、これより御家紋とはなされたり。

 

 

このように

本多家から松平家の家紋となった「立ち葵の紋」が

徳川家康公の代に「三つ葉葵の紋」となった。

これが小坂井町(この地)が「葵の紋」発祥ゆかりの地

と言われる由縁である。

 

 

 

土塁址。

 

伊奈城址。

 

 

 

櫓跡。

 

お堀址。

 

逆茂木の模型。