『ようこそ、ミーヤ』
月曜の朝、オフィスの空気がいつもと違った。
誰もが早めに出勤し、机の上を片づけ、姿勢を正す。
普段は10時ギリギリに出社する佐川ですら、8時45分にはパソコンの前にいた。
「おはようございますぅ♪」
高めの、そして甘く艶やかな声がドアの向こうから響いた瞬間、
オフィスにいた男たちは、反射的に背筋を伸ばした。
ガチャリ。
扉が開き、ふわりと香水とシャンプーの混じった匂いが漂う。
そして、彼女――御堂美夜が現れた。
栗色の巻き髪がふわりと揺れ、白いブラウスとタイトスカートが華やかに揺れる。
足元のヒールがコツコツと音を立て、彼女の存在を確かに主張する。
「今日からお世話になります、御堂美夜と申しますっ♪ よろしくお願いしまぁす♡」
お辞儀とともに、やや前傾になった上体。
覗く鎖骨。揺れる巻き髪。
それだけで、坂田、佐川、佐山の3人は固まった。
「よ、よ、よろしくぅ!」
「お、お世話します!じゃなかった、なりますっ!」
「逆にですね、えっと、いまの感じ、すごくいいと思います!」
歓迎の言葉がもはや崩壊していた。
美夜は満面の笑みで言った。
「きゃっ、皆さん、優しそうですねぇ♪ 安心しましたぁ♡」
その声に、佐川は鼻の奥がツンとするのを感じ、
坂田は香水の匂いだけで汗をかき始め、
佐山は「逆にですね」を10秒我慢した。
『デスクの配置と距離ゼロ問題』
美夜の席は佐川の隣。
佐川はその瞬間、歓喜と緊張の混ざった吐息を漏らす。
「狭くてすみませんねぇ、佐川さんのお隣で……」
「い、いやいやいやいや……むしろ光栄……いや恐縮です……!」
「きゃっ♪ 光栄だなんて〜、そんなぁ♡」
美夜はくすくす笑いながら、佐川の肘に軽くボディタッチ。
その瞬間、佐川の思考は完全にショートした。
佐山が言った。
「逆にですね、そういう自然な距離感って、職場に必要だと思うんです」
「うふっ、そうですよね〜。距離感って、大事ですよね〜♡」
坂田が割って入る。
「ミーヤちゃん、いや、美夜ちゃん!坂田忠雄です!営業部の柱、よろしく!」
「はいぃ、サカッチさんですね〜♪ よろしくお願いします♡」
「え、サカッチ……?」
「なんか、そう呼びたくなっちゃいましたぁ♪ ダメですかぁ?」
「い、いいよいいよ全然いい!もう全社にそう呼ばせるから!」
『昼休みの攻防戦』
初日の昼休み。
3人の男たちは、当然のように美夜を囲む形で社内の休憩スペースを占拠していた。
「最近どう? 彼氏とかいるの?」
坂田が遠慮なく聞く。
「えへへ……実は〜、ちょっと年上の人とお付き合いしてるんですぅ♡」
「年上!? どのくらい上? 10歳? 15?」
佐川が興味津々で前のめりになる。
「えっと〜、20くらいかなぁ……でもぉ、すごく頼りになるんですぅ♡」
佐山がすかさず。
「逆にですね、それは精神的な成熟を求めてるってことですよね」
「きゃっ、義人さんって心理学者みたぁい♪」
「い、いやあ、逆にそれ、照れますね」
坂田がすかさず下ネタモードに入る。
「でもミーヤちゃん、彼氏いるっていってもさ〜、男ってのは可能性に賭けるもんなんだよ」
「ふふっ、サカッチさんって……ちょっとワイルド♡」
それはまるで、蜂蜜を垂らすような声だった。
『最初のトラップ』
午後、コピー機の前。
「うーん、紙詰まり……どこだろぉ?」
美夜がしゃがみこんで、スカートの裾がわずかに浮く。
そこへ通りかかった佐川。
「だ、大丈夫!? 詰まってる? 見るよ見るよ、俺見ちゃうよ!」
「きゃっ♡佐川さん、頼りになるぅ〜〜!」
その声に脳が痺れる。
至近距離で覗き込む佐川。
見える……パンツじゃない、“見せパン”。
だが、それに気づける男は、この場にはいない。
佐山も通りかかり、すかさず覗く。
「逆にですね、こういうときって、ボタン長押しが有効なんすよ」
「え〜すご〜い、義人さんってマシンに詳しいんですね〜♡」
「逆にですね、それ、褒め言葉として受け取ります」
坂田も現れた。
「ミーヤちゃん、困ったらなんでも俺に言いな。俺、頼れる営業マンだからさ」
「サカッチさん、超かっこい〜♡ 頼っちゃお〜っと♡」
コピー機の紙詰まり。
たったそれだけの出来事で、3人の男はすでに美夜に落ちていた。
『佐川、覚醒』
その夜、佐川は家に帰っても、手につくものがなかった。
「ミーヤ……可愛かったな……あの笑顔、あの声……俺にだけ……」
まさか、あのボディタッチ。
あの上目遣い。
……あれは偶然? いや、違う。
“俺に気があるんじゃないか”
そう確信するには十分な材料だった。
次の日。
佐川はお気に入りのネクタイを締め、コロンをつけて出勤した。
「おはようございますぅ〜♡ あっ、佐川さん、そのネクタイおしゃれ〜♡」
「ほ、ほんとに? いやぁ〜〜〜、まいったなあ〜」
完全に落ちた。
『サカッチの暴走』
昼休み。
坂田は自分の自慢話と下ネタを炸裂させていた。
「俺さ、昔ホストみたいって言われたんだよ? 顔もよくてさ〜、女の子泣かせたっけな〜」
「ふふっ、サカッチさんって、きっとモテたんですね〜♡」
「だろ? だろ!? やっぱ見る目あるなぁミーヤちゃん!」
「も〜、恥ずかしい〜♡」
その“も〜”の語尾に、坂田の脳はトロけた。
『佐山の苦悶』
佐山は違った。
反応しない。
いつも通り、“逆にですね”と距離を保つ。
だが、内心は火の車だった。
(やばい……これは……試されてる……俺の理性が……)
彼は既婚者。
15年同棲の末に結婚したばかり。
MISIA命。
だが、ミーヤの吐息に、笑顔に、タッチに……
彼の“ムッツリ防衛ライン”は、確実に崩壊へ向かっていた。
夜。
「逆にですね……ミーヤさんって……なに者……?」
パジャマ姿で風呂上がりに、彼はつぶやいた。
『ミーヤの視線の先』
美夜は、デスクに戻ってモニターを見つめながら微笑んだ。
(……ふふっ、予定通り♡)
佐川は完全に落ちた。
坂田も暴走寸前。
佐山は……まだ様子見だけど、あと少し。
でも。
美夜の視線は、その先にあった。
(本命は、あのムッツリさんよ……)
恋愛感情なんてない。
ただ――振り向かせたいだけ。
男たちを翻弄し、その心の奥を見てみたいだけ。
その日も、彼女はボディタッチと“ゼロ距離攻撃”で、職場の空気を支配し続けた。
そして、彼らの“理性”は、確実に削れていく。
