戦いの始まり | takoyakingmakironのブログ

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今は笑える!笑うしかない(笑)
私のカオスな家庭環境を思い出して書いてます。

 

 

 

 私は母にとって邪魔で面倒で、忙しさに拍車をかける煩わしい存在。

 生きていることは私にとって罪でしかなかった。

 生まれてごめんなさい。

 私なんか生まれなければよかったのにね。

 この世から消えてしまいたかった。死にたいわけではない。生まれなかったことになりたかった。すべての人の記憶から消えて、無になれたらどんなにいいだろうといつも思っていた。

 苦しめるだけの私なんていなければよかったのにね。

 自殺したら解決するのかな。

 でも自殺なんて迷惑がかかる。初めからいなかったら楽だったのにな。

 私の夢はこの世から消えてなくなることだった。

 

 母は頻繁に祖父母の経営する会社に呼び出され、仕事を手伝っていたが嫁ということで無給だった。農家をしていた時の感覚で、嫁は働き手、そんな感覚だったのだと思う。それを当時の経理担当を担当さんが、きちんと報酬を得られるようにしてくれた。母が張り切って仕事を始めたのはそれからだ。

 元々家で子どもの世話をしているのなんて楽しめない人だったので、渡りに船くらいなものだっただろう。幼稚園バスのバス停へのお迎えにも来なくなった。バスがついても母の姿はない。すぐに来るだろうと待っていても一向に来る様子はない。

「まきちゃんのお母さん遅いね。どうしたのかな。」

 先生も運転手さんも困っている。

「先生まだー?」

「どうしてまきちゃんのお母さん来ないの?」

 バスに乗っている園児たちが騒ぎ出す。

 どうしてお母さん来ないんだろう。なんで...。

 私はもう耐えきれなくなり、

「先生、一人で帰ります。」

 そういって一人でバスを降りた。

 先生は一人で帰れる?と心配そうに言ってくれたけれど、先生だってこのままじゃ困る。

「さようなら。」

 先生に挨拶すると私は無言で歩きだした。できるだけ平気に見えるように頑張った。先生は会社の建物に入るまで曲がり角まで出て見送ってくれた。私は振り返って先生に手を振り会社の建物の中の母のところに行った。母はほかのパートさんと笑いながら作業をしている最中だった。

「お母さん」

 私が呼びかけると

「あら、もうそんな時間だったかい。あんた一人で帰ってきたの。」

 そう私に言い、

「この子一人で歩いて帰ってきたわ!」

 と周りの叔母さんたちに大きな声で笑いながら言った。

 私は何がおかしいのか全く分からなかったけれど、これは大したことではないのだと思った。お迎えに来てもらえなかったことは物凄く悲しくて惨めだったけれど、母にとっては笑うようなことなのだ。

「どうして迎えに来てくれなかったの?」

 と私が聞くと

「忙しくて時間わからなかったんだわ。ごめんね~」

 と言ってまた作業に戻った。私の気持ちは特に考えていないようだった。それよりも、自分はこんなに忙しいのだから、時間を忘れることくらい当たり前のことだ。私がこんなに仕事を頑張っているのだから、あんたはできることを協力して当たり前でしょ。と思っているようだった。わたしは何も言わず休憩室に行って一人でテレビを見た。

 

 母は子ども時代にはかなわなかった自分の人生を生きることを、この時初めてやり始めたのかもしれない。朝から夜遅くまで働き詰めだったが、母は仕事に没頭した。遅ればせながらの青春時代を思う存分過ごしていたのだと思う。しかも自分の収入という魅力的なものまでついてくる。そこには子どもの存在は邪魔なだけだ。家のことも子供のこともやりながら青春時代を楽しむことなんて無理だもの。母にとっては煩わしいだけの存在。

 当の母は楽しんでいるとは全く思っていない。夫の家族の中で孤立無援に耐えながら毎日辛い日々を送り、我慢我慢の連続だ。周りは敵だらけで誰も味方になってくれない。私は世界一大変な目にあっている。そんなところだろうか。

 私から見ると、仕事をしているときの母が一番生き生きしていた。楽しそうだった。母は仕事が好きなのだ。体を動かしていれば嫌なことは忘れていられるし、お金にもなる。母は働くこと=お金が大好きな人なのだ。好きなら好きでいいのに。楽しんでいることを認めてしまうと周りに助けられている自分を認めて感謝しなければならない。

「ありがとう、好きなことをさせてくれて」という気持ちになれば、その方がずっとうまくいくということを学ぶことができなかったのだと思う。

  

 私は母みたいなお母さんにはならないつもりで子どもを育てた。

 でも私も同じことをしている自分に気づくことになる。

 それはまだずっと後のことだけれど。

   

 誰にも相談することのないまま、自分を押し込めて私は大きくなる。

 小学校、中学校、高校と鬱々とした毎日を明るく元気、という仮面で隠し頑張り続けた。

 そして、私は摂食障害を発症した。

 初めはほんの些細な事。

 母が炊いたお赤飯があまりにおいしくて物凄い量を食べた。でもこんに食べたら太る。その時「吐いてしまえばなかったことになる!」そう思った。わざと食べ物を吐き出すなんて初めての経験だったが、やってみた。やり方はテレビで何度か見ていたのどに指を入れて吐き出すという方法。トイレに行き、恐る恐るやってみると意外と簡単にできた。便器のそこにピンク色のお米が溜まっているのがみえた。

 これでゼロになった。何もないことに戻った。これで安心。

 胃の中が空っぽになって体が物凄く軽く感じた。

 今まで感じたことのないすっきりとした感覚だった。

 自分が透き通っているような感じ。

 気持ちがよかった。

 

 これが摂食障害の地獄への入り口だとは、この時は全くわからなかった。