私の記憶の中では楽しそうに私と関わる母の姿はない。
母が楽しそうに見えたのは大好きな買い物をしているとき。
服を買うのがとにかく好きで、よく買い物に連れまわされた。
小さなころの私は買い物なんて退屈なだけで、長い時間は苦痛だったけど
帰りたいといえば待ってなさい!と叱られ、しつこく言うと
そんなに帰りたかったら一人で帰りなさい!と突き放される。
仕方なく座れるところを探して待っているのがいつものことだった。
公園に連れて行ってもらった記憶は全くない。
行きたい場所を聞かれたこともない。
私の気持ちを聞かれたこともない。
私の存在が重かったんだろうな。
元々子供が好きな人ではない。子どもなんて欲しくなかった
と面と向かって言われたこともある。私を傷つけようとして言ったのではないけれど
話の中でそんなことを平気で言ってしまう。
その言葉を向けているのは自分の子どもなのだということは全く
頭にない。そんなことを言われた子どもがそんな気持ちになるかなんて
気にもとめない。私が唖然としていても気が付くことなく自分の辛かった話を
夢中になって吐き出している。
そんな母の姿を見るのはあまりに当たり前でおかしいとも思わなくなって
いたけど、心は物凄いショックを受けていたと思う。
自分は傷ついているとのだと思うことに蓋をしてしまったのは
そうしないと生きられなかったから。
それが生きるために一番いいと私が選んだ方法だった。
傷ついていることを認めたらもう生きてはいられなかった。
傷ついても生きるのに何も役に立たない。
そう判断して決めたことだった。
傷つけば傷つくほど私は明るく振舞った。
傷ついていることを知られたくなかった。
弱みを見せたら攻撃が待っている。
自分を全力で守る戦い。
私の生きることは戦いだった。
