子どもの頃の夢は何でしたか?
「普通になること」
それが子どもの頃からの私の夢でした。
私は私が大嫌いで、
変わりたくて、自分以外の何者かになりたくて必死で頑張ってきた気がします。
普通になりたい普通になりたい。
変わってるという言葉を何度投げつけられたか。こんな自分消えてしまえばいい。
この世に生まれなかったことになってくれたらどんなにいいだろう。
私の夢はこの世から消えてなくなることでした。
誰の記憶からもすべての痕跡を消して、生まれなかったことになってしまうこと。
消えてなくなった自分を想像すると心が平らに透き通ってほんの少しだけ穏やかに過ごせたものです。
死にたいというのとは別の感覚でした。
死ぬこととは全く別のこと。
死ぬのは生きていた人がその生涯を終えること。
私が望んでいるのは存在そのものを消してしまうことでした。
何もなかったことにすることだったのです。
生まれなければ、存在しなければこんなに苦しむことはなかったし、
周りの人に迷惑をかけることも、不快な思いをさせることもなかった。
特にお母さんには。
私のために毎日くたくたになって体を壊すまで働いて、
私さえ生まれなければあんなに毎日大変な思いをさせることはなかった。
どこに行っても厄介者の私。
すべての記憶から消えてしまいたい。
関わった人すべての記憶から消えてしまいたい。
どうしたら喜んでもらえる自分になれるのだろう。
役に立つ自分になれるのだろう。
周りが望むような自分になろう。
このままの私じゃだめだ。こんな私じゃ誰も許してくれない。
こんな私じゃ生きていることを許してもらえない。
楽しむなんて絶対に許されない。
お母さんが苦しんでいるのに私だけ楽しむなんて。
お母さんが苦しんでいるのだから私も一緒に苦しまなくては私は役立たずになってしまう。
役に立たない私なんてここに存在してはならない。
こんなこと思ってしまうなんて、自分の心に驚いたり、あきれたり。
私は自分に必要以上の縛りを課した。
これだけ苦しめばお母さんも私がいることを許してくれるだろう。
一緒に苦しむ仲間になれば私に居てもいい、役に立っているといってくれるはず。
喜んでくれるはず。
お母さんに喜んでもらうことが私の一番の願いだったから。
親の愛情がないと生きられないから、子どもは親のために一生懸命になる。
そんな風に書いてある本もあったけど、
その時の私は単純にお母さんのためにできることを探して頑張っていたように思う。
どんなに苦しくてもお母さんのために必死だった。
自分のことなんて考えたことあったかな。
私にとって自分を変えるということは自分を殺すということ。
私はずっと自分を殺し続けた。
むくむくと立ち上がろうとする私を何度も何度も踏みつけて。
窒息していく自分を見殺しにして。
私が思う母のための行動と多数派の子どもの育つ環境が両立
するものではなかったかもしれない。
それでも必死に頑張っていたのが子ども頃の私。
不器用で笑ってしまうけれど、自分くらい自分を認めてあげないとね。
頑張っていたね。