わたしが在籍しているプロセスワーク研究所のファイナルプロジェクトとして、被災地において「被災者」でありながらも、「支援者」でもある人たちのことに焦点を当てることにした。
でもどうして自分は、「被災者」でもあり、「支援者」でもある人たちに惹きつけられるのか?
自分自身の個人的な体験が何か作用しているのか?
自分にとって、被災体験のような体験があったのか?

小学校2年の時に、それまで暮らししていた所から父の転勤の関係で離れた。
離れてしまったからそう思うのか、のちにその時のことを思い出すと、その時の日々は自分にとって楽園のようだったと思ったりする。
少しばかり広い平屋の家にいたが、その家の一部と、離れの部屋を、事務所や、普段暮らす部屋として間貸ししていた。
自分は勝手にその事務所に出入りしたり、間貸ししている人に銭湯に連れて行ってもらったりした。
祖母は家の中の広い座敷で、踊りの先生を呼んで踊りの教室を開いたり、親戚の人や、父の会社の同僚たちやら、いろんな人たち出入りする、コミュニティのような空間だった。
そのコミュニティに出入りする人たちに大事にされ、自分はそこで幸せだったと思う。
自分にとって、ある意味、そのコミュニティ自体が母親だった。
しかし、その自分にとっての楽園を失ってしまった。
その自分にとっての喪失体験が、被災地の人々の体験と重なるのか。

その地から東京に移り住んでのちすぐに見た夢がある。
ユングは、子どもの頃に見た印象的な夢のことを「チャイルドフットドリーム」と呼んで、そこにはその人の人生の青写真のようなものが現れると言ったとか。
その夢の中でわたしは、船の甲板の上で座りこんでいた。
その座り込んでいる自分の前には、たくさんの死者たちが横たわっていた。
横たわっている死者たちの前で、自分ひとりが生き残っていた。
この自分ひとり生き残っている感覚は、生まれ育った「楽園」「コミュニティ」から離れてしまった感覚とつながる。

でもその夢の中では、船が、生きている自分も、たくさんの死者たちも、その両者を抱えている。
でもどうしてそれはトラックではなく、船なのか?
船のまわりにあるのは海。
固い大地ではなく、縦横無尽に変化する海。
その海の上にその船は浮かんでいる。

船を漕ぐイメージが出てくる。
ひとりきりでこの船を自分自身の力で漕がなくてはいけない、と思う。
でもこの船には、死者たちもともにいる。
この船は生きている自分も死者たちもともに抱えてくれている。
その死者たちも同じ船の中にいることに気持ちを向けると、
死者たちが自分をあと押ししてくれる気がしてくる。
そうだ、この船を漕ぐのは生きているわたしひとりだけではない。
死者たちも、ともにこの船をこいでくれているのだ。

Tako vocalization 「海に立つ」
http://www.youtube.com/watch?v=EVIKMiFelhg&feature=plcp

Tako vocalization「空、桜散る」
http://www.youtube.com/watch?v=sz4cnJqS8XI

Tako vocalization「暗い断層」
http://www.youtube.com/watch?v=iUXjVRqnaLs&feature=channel_video_title

Tako vocalization「舟をこぐ」
http://www.youtube.com/watch?v=AL3Oj0wElYo&feature=related