祖母の話 | びーちょんぐれいぷ【旧・ばっさばさ!】

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貴腐人な歳の差夫婦の育児絵日記です。三歳のバサと0歳のあーちゃんの日々を綴ります♪

すげー暗い上に長いので、お時間ある方かたこわさBが気になる方向け(笑)



12月15日から異常なくらいの速さで進行したおばあ様の症状。

最終的な病名は 「レビー小体型認知症」。

パーキンソン病だった祖母。
このレビー小体型認知症パーキンソン病とは兄弟みたいなもので、大脳皮質の多数の神経細胞内に「レビー小体」という特殊な変化が現れるものなのですが、パーキンソン病の場合はレビー小体が脳の下の方にある「脳幹」に出るのに対し、レビー小体型認知症の場合は、大脳皮質全体に出現します。

つまりは、パーキンソン病が進行した、というわけです。


急激に進行したのには、先にいっていた「せん妄」もあるかと思います。
ちなみにせん妄は病名でなくて状態というか、意識混濁に加えて幻覚や錯覚が見られるような状態のこと
健康な人にも起こるそうです。

祖母はおそらく薬を過剰摂取した為にせん妄になり、その後、レビーへ移行したものと思われます。
パーキンソン病の薬と、合わせて出される症状を軽減させる薬たちは結構副作用が強いので、飲み方に注意が必要なので…


結局、祖母はもう家に帰ってくることはないようです。
今日、父にそう言われました。

私が介護したのは二週間程でしょうか?
症状が毎日違い、祖母も毎日違う表情を見せていました。

本当に、子どものようでした。


私は、この二週間、実は結構楽しかったです。・・・大変でしたが…

私は、祖母のことがキライです。

私が6歳のとき、私の母は病気で亡くなりました。
弟達も5歳。母の入院費や葬式代などで借金もありました。
とても父一人では育てられないので、祖母がやってきました。

父はとても優しくて、私は父から怒られたことは一度もありませんが、祖母はとても厳しい人でした。

今でいうと、虐待になるんでは!?って感じで、言う事を守らないと叩かれ、そこで涙を見せると叩かれ、棒で叩かれ、まぁ叩かれた思い出しかありませんwww

弟たちはそうでもなかったのですが、特に私は「お姉ちゃんなんだから!」「この家はお母さんが居ないんだから!」とか「長女でしょう!?」と、いろいろ注意されて育ち、さらに祖母は潔癖症だったので人を家に入れるのを嫌ったので友人を呼べることもなく。
何をするにも祖母に断らないといけなかったので、やはり怖いというかめんどくさいというか…で、友人と遊んだりもすることなくなり、結構地味に子供時代を過ごしてました。

また、祖母からは「私はKちゃん(父の事)が可愛いから手伝いに来てるのであって、あんた達の事は好きじゃないよ!」と言われていたので祖母のことはキライでした。


大きくなってくると、さらに悪化というか、自分だけなんでこんな目にあうんだろう、と私は思うことが多くなりました。

弟たちは遊びに行ったり部活をしてるのに、私は食事の用意。遊びに行けない。

弟たちは後片付けなど何もしないのに、私は買い物に皿洗い…

昔人な祖母は、男は台所に立つな、女は家の事を!という人でした。


いつまで続くんだろう、と思っていた時、趣味が広がって漫画や同人誌を描いたりHP作ったりでき、オンラインでたくさんの人と仲良くなり、かなり救われました。
20代になり、年に2回あるオタクの祭り(笑)にも参加するようになりました。
そしてこの頃、祖母はパーキンソン病を発症しました。

そんな感じで25歳になった頃。

もう、家を空けてはダメだよ。東京に行くのはもうダメ。もし私に何かあったらどうするの

東京に行けなくなりました。

この時はかなりきました。私の楽しみはどれだけ奪われるのだろうか、と。

そんな時、今のパパと付き合い始めました。

私は小さい時からずっと思ってました。きっと結婚したらこの家から出れるんだ!と。
それまで、だから頑張ろう、と。


早く自由になって好きなことをしたかった。祖母の小言から逃れたかった。


初めから、パパとは結婚を前提に付き合っていたので、パパの両親に挨拶にも行ったし、結構トントン順調に進んでました。

結婚はいいけど、子どもはつくってはいけないよ
今の家の状況がわかるでしょう?私が倒れたら、お父さんは仕事があるんだから貴女が介護しなくちゃならないのに

バサを授かりました。

バサの妊娠中も、産まれてからも、ずっと祖母から言われていた言葉があります。

お前はこの家を不幸にする気!?

実際、バサが産まれてからもパパとは一緒に暮らせませんでした。
私はずっと実家暮らし。
家を出て行ってはいけない、との祖母のお達し。

結局、パパと暮らし始めたのはバサが六ヶ月くらいなってから…
しかも、月の半分は実家。

結婚しても、子どもが生まれても、祖母からは離れられませんでした。



でもあんなことを言っていたのに、ひ孫のバサが可愛いらしくて、段々と穏和になってきた祖母。
あーちゃんが産まれる頃には、可哀想だからとほとんど実家に帰って来なくてもいいよ、な雰囲気になっていました。


祖母のことはキライです。

でも、介護してると別にそんなことは思いませんでした。

ニコニコ子供みたいに笑ったり、ぼーっとしつつもいろいろ頑張ってたり。
怖かった頃の面影は全然なかったからかもしれません。

小さかった頃、叩いてきた手も、ものすごく細くなってしまっていたし鋭かった眼光も、目を開いてくれなくて閉じたまま…

まだ少し、意識があるとき、会話をするととても頼ってくれていました。
ごめんね…」という言葉も何回も聞きました。


私は結構リアルな夢を見るのですが、夢の中の祖母は元気で怒られそうな雰囲気です。
でも昨日見た夢で、祖母は弱ってました。
介護の頃の夢です。

今はもう、入院してしまい、面会もあまりしない方が良い雰囲気らしく、もしかしたらもう祖母には数回しか会えないかもしれません。

でも会わない方が、思い出の中の祖母は元気なままでいいかな…とも思ってしまいます。

思えば、私が25歳の頃。
東京へ行くな、と言った祖母。祖父が孤独死したことで日に日に弱っていく自分が心配になったのかもしれません。



バサやあーちゃんをないがしろにしてまで祖母を介護することが良いこととは思えないので、父が入院させるといった時に、あまり反対はしませんでした。

パーキンソン病が難病指定されており、進行を遅らせることはできても、良くなることはない…というのもありますが…


このあとどうなるかわかりませんが、確実に10歳年上なパパや、父を介護する日がやってくると思います。
介護のこと、もっと勉強しておこう、と、本当に思いました。

ながらで見た、NHKの介護術が本当に助かりました。(ちなみに四肢麻痺の人をベットから起き上がらせる術)





祖母が入院したことで、私は自由になりました。

もう、実家へ帰らなくても良くなりました。


実際は、何もしなくてもよくなったとき、何もすることがないんだなぁー…と、なんだか思ってしまいました。


祖母はキライです、でも、居なくなったら、やっぱり寂しいです。