なんだかスゴイな〜…。
丁度教育とは?みたいにグルグル考えていた、まさにこのタイミングでだよ。
初めて教育に深く関わった人から、めっちゃ久しぶりに連絡があるなんて
私が仕事で、いわゆる教育というものに関わったのは、前職で働いていた時の、中国人研修生10名(全員女性)に対するものが初めてだった。
お国柄もあったと思うけれど、とにかく彼女達のダメ出しは、容赦なかった
「アナタ何が言いたいのかさっぱり分からない!」
「結局私達に何をして欲しいんですか?」
「もっと分かりやすく説明してくれませんか?」
等等、集中攻撃されたのもいい思い出笑。
ここである程度、メンタルは鍛えられたのかもしれない笑。
あ、皆の前で泣いたりとかはしませんでしたよ、別に
家帰って、寝る前に布団の中で、自分の不甲斐なさを思い出して涙…なんてことはしていたけれど
10対1だったからね
だけど不思議と「もっと上手に説明してくれる人に変えてくれませんか?」とは言われなかったのだよね…。
他に適任者がいなかったってのもあったからかもしれないが笑。
そりゃあ大変なことの方が多かったけれど、教育(ってほどのものでもないかもしれないけれど!)ってやっぱりそれ以上に、楽しさとか、やりがいも沢山あったんですよね。
自分が少しでも教えた人が、巣立って一人でなんでもできるようになっていく姿を見られるのは、何ものにも代え難い喜びがあって。
沢山苦労したからこそ、その分喜びも大きいものなのかもしれないな、もしかしたら…。
そんな風に考えていた、まさにそんなタイミングで。
前職の中国人研修生リーダー(仮名インちゃん)から、めっちゃ久しぶりに連絡があるなんて
しかも日本にまたいるなんて
連絡があったのは昨夜、10月1日の夜だったから。
てっきり国慶節の大型連休で、旅行にでもきたのかな?なんて思って聞いてみたら。
実は埼玉の川口事業所で働いていたなんて
(許可を得て掲載↓)
インちゃんはれっきとした女性なんだけど、見た目は失礼ながら、完璧に男性で
頭刈り上げてるし、服装もスカート穿いてるとこなんて見たことなかったし、声も低め。
他の研修生からも「インの兄貴」とか言われて慕われていたし。
だからこそ最初、中国人研修生の女性10名のお世話をしてねと、会社に言われた時。
なーんで男が紛れ込んでるのかな?とか思ったのだっけ
そしてこれも偶然なんだろうけど、大学の頃に仲良くなった、中国人の女の子がいるんだけど。
その子もインちゃんなんて呼ばれていたなぁ
周りの評価を気にせず、年上だろうが先生だろうが、自分の言いたいことは何でも主張していくタイプの子で。
正直羨ましかった。
あんな風に、思ったことを思ったままに言える強さ?みたいなのが欲しいとか思ってた。
そういやワタサバの網浜さんにも(そこまで強烈ではないが)似てるなぁ
インちゃん兄貴は以前品川(青物横丁)事業所で働いていた時は、10名で千葉の松戸の貸家に住んでいたけれど。
今は住まいも川口みたいで、今回は職場から近くて便利で良かったねと思った。
アナタはどこに住んでいるの?と聞かれたから、川崎だと答えた。
川口と川崎、名前は似ているけれど、ちょっと遠いねと返した
思えば私、中国留学生活が終わって帰国する際、どこの街に住もうか結構迷っていて。
第一候補地は留学前まで住民票のあった、大阪等の関西だったけど。
なかなか関西では仕事が見つからなくて、じゃあ東京の会社で働くのはどうだろうって、思いついたんだよね。
関東のどこに住もうか迷っていた時に、川口と川崎って、名前が似ている市があるなぁと思って。
どちらも知り合いもいなかったし、縁もゆかりもない土地だったんだけど。
何故か最終的に、この二つの街の内、どちらかに住んでみようかと思うようになった。
どちらにしようかな方式とか、コイントス的にはさすがにしなかったけれど。
丁度中国で知り合ったネット友達が、神奈川県出身の人で。
「川崎はなかなかオススメのいい所だべ」みたいに言われたのが決定打となって、川崎に居を定めたのだっけ…。
今思えば、なんちゅー適当な決め方だったのだろう
そういや私の祖母は、沖縄の名護市の出身だったんだけど。
前々から、何故本土に出てくる際、名古屋で生活しようと思ったのだろう?と不思議だった。
祖母が生きている時に聞いておけば良かったなと、強く思うけれど。
当時はそんなに、自分や親戚のルーツに興味がなかったんだよね
まさかとは思うけれど…名護と名古屋って、響きが似ているから、特に理由はないけれど、なんとなく名古屋に決めたってことはあるまいな
さすがにそんな適当に決めたとは思えないけれど、孫の私が川口と川崎で迷ったとか似たようなことやってたんで、祖母ならやりかねないかも
だとしたら、やはり血筋だねぇ
そして…以前開業司法書士してた時に作成していたホームページ。
もうすっかり存在すら忘れていたのだけど。
これもまたなんちゅータイミング?って感じなんだけど。
何年ぶりかくらいに「そういやあのホームページ今どうなってんの?」みたいに、作成に関わった人に、今日聞かれて
そのホームページには、私が川崎に居を定めた経緯みたいなのが少し書かれているから…。
本当になんちゅーか、色々繋がっている感が半端なくて、びびりますね
だけどインちゃん兄貴からの連絡は、本当に嬉しかった
誰だって社交辞令的に「いつかまた◯◯へ来る機会があったら連絡するね!」と、別れ際に言ってくれる人は、これまで多くおりましたが。
本当にその通りに私のことを覚えてくれていて、しかもこうして随分時間が経っているのに、また連絡をくれるなんて
本当に感激!でしたねぇ
インちゃん兄貴は、今はもう一人の研修生と二人で住んでるとのことで。
このもう一人の研修生(韓国女子みたいな雰囲気)のこともよく知っているし。
今度色々落ち着いたら、三人でまた会いたいな…と思っている