「怒りにとらわれるのは、毒を飲んで相手が死ぬことを期待するようなもの」(ブッダ)
自戒としても言えるのですが、怒りの感情にとらわれている時、なんとも気持ちの悪い後味が残ってしまうような感じがします。
人間のあらゆる感情の中でも、怒りというのは良くも悪くも凄まじいエネルギーのようなものを持っていて。
時にはそれが、何かを成し遂げる原動力になったりすることもあるけれど。
ただ基本的には、待ち続けていてもあまりよろしくない感情には違いないでしょうね。
怒りを持ち続けている時というのは、一日の多くの時間、相手に支配されてしまっているわけです。
忘れたいはずだったとしても、全く真逆のことをしているわけで、それではマンマと思うツボです。
どれだけ怒りを感じていても相手は平然としていて、自分だけがどんどん傷付いていくのなら、こんな悲惨なことはありません。
なるべく早い段階で、悲劇のループから脱却することが必要で。
だからこそ相手を許す、そのために相手を許す。
敵がされて一番不快なこと、それは許されることなのかもしれない。
あくまでも相手を許すのは相手のためではなく、自分のために。
相手がどうなろうが知ったこっちゃありません。
ただこれも相手を不快にさせたいからという他人軸ではなく、自分が楽になりたいからという、あくまで自分軸を確立することが大切なのかもしれない。
自分のために、怒りを感じる相手を許す。
更に一歩進んで、いつの日か怒りを感じる相手の幸せまでも真に願えるようになれば、それはもう立派な聖人君子の誕生かもしれません。
別にそこは無理して聖人君子にまでなる必要はないとも思いますが。
許しましょう、相手のためにではなく、自分のために。
笑顔で接してあげましょう、自分のために。
「あなたを許す」(ネモフィラの花言葉の一つ💠)