特技なのか分かりませんが、子どもの頃から異常に数字を覚えるのが得意な方でした。


かなり長期間記憶していられるので、今でも大昔によく使っていた自宅や親戚等の番号は覚えています。


昔はクラス名簿っていうか、同学年の住所と電話番号が全て晒される仕組みになっていました。


その番号も自分と関わりのある人の場合、やはり覚えてしまってました。


スケジュール、何月何日何時にこの予定があるというのも、基本的には忘れませんでした。


人間電話帳とか、人間電子手帳とか呼ばれたこともあります笑。


(電子手帳とか懐かしいね〜。)


もちろん、覚える気のない数字は覚えませんし、覚えておりません。


このことが最も役に立ったのが、社労士試験でした。


社労士試験は〇〇が〇〇%とか、数字の暗記系が多かったですので、まさに得意分野だったかもしれません。


4ヶ月程の短期学習で一発合格出来たのも、これのおかげかもしれません。






私が幼い頃、とても優しく品のある伯母がいました。


その伯母が私に、将来何かの役に立つかもしれないと、数字やアルファベットの英才教育とまではいかないかもしれないですが、特訓してくれたそうです。


スーパーとかの商品の品番、値段、レシートの数字の羅列等の、身近な物を次々に暗記させたそうです。


幼い頃なのであまり記憶がないですが、母いわく私が面白い程スラスラ暗記していくので、伯母もどんどん教えてくれていたのだそうです。


絶対幼い頃のこの特訓が、今でもまだまだ衰えない記憶力の原因になっていることは間違いありません。






その伯母は私が9歳の小学3年生の時に、病気で亡くなりました。


若くして亡くなったこともショックでしたが、お葬式の場で驚いたこと。


伯母には娘が二人いたのですが(私の従姉妹)、当時高校生と中学生だったと思います。


自分の親が死んだのだから、絶対めちゃくちゃ悲しんで泣くものだと思い込んでいました。


でも従姉妹二人は、全く泣いていなかった。


それどころか、周りの参列者を逆に励ましたり、元気づけていた。


従姉妹のクラスメイトらしき人が「辛いことがあったら、私に出来ることがあったら何でも言ってね!」と声をかけてましたが、「あ〜、ないないそんなこと笑!」と。


あまりにもあっけらかんとしているのが不思議で、つい従姉妹にその場で聞いてしまいました。


「ねえ〇〇ちゃんはお母さんが死んじゃったのに、どうして泣かないの?悲しくないの?」と、小3の質問なんで無邪気なものかもしれませんが。


「だって泣いたって仕方ないじゃん!それよりこれから先を明るく生きていくことを考えた方がいいと思ってね!」と。


なんて強い人達なんだろうと思いました…。


自分だったら無理だ…ただでさえまだまだ親が絶対で、親が必要な時期だよ、絶対わんわん泣いているって。


でもさすがあの素晴らしかった伯母の娘達なので、もしかしたら普段から死生観とか、そういった教育を受けていてもおかしくなかったのかもなと、今となっては思います。


親が亡くなってしまっても明るく強く生きていけるようにと、少しずつ心の準備が出来るよう、いろんな話を生前していたのかもしれないな…。


伯母は本当に品も知性もあって素敵でした。


メキシコの死者の日にちなみ、ふと思い出しました…。