ある漫画家さんの影響で、御朱印集めを趣味の一つとしています。
時間がある時なんかはふらーっと思いつくままに、日帰りで行ける範囲の神社等に行ったりしますが、
やっぱり直書きの御朱印をいただくと格別の嬉しさがあります。
神社等ではお願い事をすることもありますが、
日々なんとか無事に過ごせていることの感謝を伝えることをメインにしています。。
「仏さん(ご先祖様)は大事にしないといけない…。」
この言葉もその漫画に出てきたものですが、努々忘れたらいけません。
開業司法書士時代は相続登記業務をメインとしておりましたので、戸籍を集める機会もありました。
もちろんお客様の戸籍取得については、職務上請求が必要となります。
ところで自分の直系尊属や卑属の戸籍については、そもそも委任状も何も必要なく、普通に取得できてしまいます。
相続等をキッカケとして、初めて自分のご先祖様、ルーツへの興味が湧くという方も多いのではないでしょうか。
私もそうでした。
人によっては戸籍を見てしまうことで、知らなかった方が良かった事実を知ってショックを受けたりするんでしょうね。
直系尊属や卑属ならその気になればすぐにでも見てしまうことができるので、
実は知らない間に隠し子作っていた!!なんて判明した日にはもう…。
(あんまりないよそんなん、とか言われそうですが)
だから親族、特に直系の縁はどんなに普段疎遠にしていても、なかなか完全に切ることは難しいのかもしれません。
私にとって一番近しい先祖といえば、母方の祖母になります。
先日ちょっとしたことがきっかけで、改めてじっくり思い出す機会がありました。。
幼い頃は母が病弱だったこともあり、しょっちゅう祖母の家に行って面倒を見てもらっていました。
おばあちゃん大好き、おばあちゃん子です。
おばあちゃんの作るご飯が大好きでした。
ある夜、祖母と母と一緒に散歩をしていた時、祖母が車に轢き逃げされてしまったことがありました。
走り去っていく車に対して母は「人殺しー!」と叫び、うずくまる祖母、地獄絵図です。
幸い怪我だけで済んだのですが、入院することになってしまいました。
当時祖母は独身の伯父達と暮らしており、祖母が家事を全てやっておりましたので、
入院期間中は家政婦さんを雇っていたことを思い出します。
祖母が入院中も祖母の家でお世話にはなっていましたが、家中のどこを探しても当然どこにもいない。
家政婦さんも優しかったけれど…。
あの頃は子どもながらに、非常に悲しかったですね。。
その事故もそうですが、祖母は沖縄出身で本州に出てきた人で、非常に苦労多き人生だったそうです。
唯一の娘である私の母が4歳位の頃、死を覚悟したほどの交通事故に遭ったこともあり、想像を絶する大変さだったと思います。
もしこの時母が死んでしまっていたら、今私はここにはいないはず。。
同様に、もし祖母が戦争等で亡くなってしまっていたとしたら、やはり今ここに私はいない。。
曾祖母が途中で亡くなっていたら。。
高祖母が欠けていたら。。
高祖母の親が、高祖母の親の親が、高祖母の親の親の親が…(無限ループ)、
誰一人欠けていても私という存在は今ここに存在していないはず。。
当たり前のようで当たり前じゃない。
自分の身体は自分だけのものでは決してない。
だから大事にしないといけない、粗末にしてはいけない。
自分を自分たらしめている全ての存在、全ての先祖に感謝を伝えなければいけない。
祖母は私が二十歳の頃に亡くなりました。
当時の自分は若気の至りで、祖母含めた身内に非常に心配をかけまくっておりました。。
それが故に、ちゃんとしたお別れを祖母とすることができておらず、今でも後悔の気持ちが消えることはありません。。
そのせいか、定期的に夢には祖母が出てきます。
聞いた話によると、ある人物に対して未練や消化しきれていない気持ちがある場合、頻繁に夢に出てくるのだそうです。
タイムマシンがもし使えたなら、二十歳の頃の自分を説教してぶん殴ってやりたいくらい
でもそれはできない。
今できることといえば、なるべく心配かけないような生き方をすること。。
できればお墓参りに行くこと。(三重の山ん中で非常に遠いのですけどね…。)
過ぎさりし日々は戻りはしないのだから。。