6月1日(水)角川シネマ新宿に

映画「太陽」を観に行きました。




ロビーにスケキヨがいた。(≧▽≦)




化粧室の注意喚起。

手を洗うのは忘れなかったのだが、

ハンカチを忘れて不便だった。





監督・脚本 : 入江悠
原作 : 前川知大『太陽』


<出演>

出演者: 神木隆之介、門脇麦、古川雄輝、綾田俊樹、水田航生、

高橋和也、森口瑤子、村上淳、中村優子、鶴見辰吾 古舘寛治




<あらすじ>


ウイルスの感染を克服し心身ともに進化したけれど、

それと引き換えに太陽の下では生きられない体質になってしまった

新人類【ノクス(夜に生きる存在)】。もう一方は、太陽の下で

自由に生きられるものの、ノクスに管理されることで貧困を

強いられている旧人類【キュリオ(骨董的存在)】。
キュリオとして生きる青年・奥寺鉄彦(神木隆之介)は、

村での生活に憤りを感じながら鬱屈とした日々を送っていた。

彼の幼なじみの生田結(門脇麦)は、自分と父親(古舘寛治)を

捨ててノクスへと転換した母親(森口瑤子)とノクスそのものを

憎みながらも村の生活を少しでも良くしようと前向きに暮らしていた。

ノクスの世界と、キュリオの世界。2つの世界を隔てていたゲートが開き

そこに門衛としてノクスの駐在員・森繁(古川雄輝)がやって来る。

ノクスに憧れる鉄彦は何かと森繁の元を訪れ、

いつしか2人の間には友情が芽生え始めていた。
そんな矢先、10年前の事件を起こして逃亡していた鉄彦の叔父・

克哉(村上淳)が村に戻ってくる。相変わらず傍若無人に振る舞う

克哉の登場によって村はふたたび不穏な空気に包まれる。

ノクスとキュリオ、世界の隔たりを消すことはできないのか。
それぞれが自分の意思で生きようと決意したとき、

世界はこれまでと違う方向へと動き出したかのように見えた。







映像で観ると、SF感と特撮がすごかった。

「太陽2068」では地下と地上の二層建てで表現していて、

イキウメ版「太陽」はノクスの世界は出てこなかった。

映像だとノクスの発達した都会的で文化的な生活と

キュリオの貧しい暮らしの落差があまりにも激しくて

改めてこの作品てなんて壮大な話なんだろう、と思ってしまった。

冒頭のノクス殺人では、太陽の光が当たると、体から煙が出て

黒焦げになっていくのがグロテスクでホラー映画状態。

結がレイプされるシーンは生々し過ぎた。

街に戻ってきた克哉が、村人に殺されるシーンでも

血しぶきが飛んで壮絶だった。

ノクスの血液はぶどうジュースのような色で、

人間とは違う生き物という感じが強く描かれている。







映画版の門番・森繁は、あまり心を開かない様子。

舞台版の方がフレンドリーな感じだった。

鉄彦が森繁の気を引こうとするアイテムは、映画版では

太陽の光が入らない仮面だったのだが、舞台版ではお茶。

金田医師も映画版は完全にノクス寄りの考えだったのに

対して、イキウメ版の金田はキュリオ寄りだったり、

結がノクスに転換するシーンでも、舞台版は

母親が口のあたりを噛むのに対して、映画版では

母からの輸血によって、徐々に結の血液がノクスのそれに

変化していくというもので、ずいぶん違っていた。

輸血シーンでは結の血管が黒々と浮かび上がって不気味…

ノクスがヴァンパイアに見えてきて仕方がなかった。







イキウメ版で大泣きした、ノクスになった結と父・生田の

面会シーンでは、結にマフラーを渡そうとした生田に、

「いらない、あるから」と自分のしていた新しくて綺麗な

マフラーを見せ、受け取りを拒否るところが胸が痛くなった。

舞台版では見る事が出来なかった、森繁と鉄彦が

実際に旅をするシーン、映画版では観ることが出来て大収穫。

なんだか前途多難な旅になりそうで心配だが…

その後の続編を見てみたい。

3種類の「太陽」どれも面白かったけれど、

個人的に、イキウメ版「太陽」が一番好きかも。