明けましておめでとうございます。
1月3日(水) 山口駅に9:30集合。
参加費を支払いコースマップを貰います。
本日のウオークは約8㎞です。
トイレを済ませて、駅舎前で会長の挨拶とコース説目、簡単なストレッチ体操をして体を温めます。
参加者は21名(1人遅れて来るそうです)女性は7名でした。
先ず、古熊(ふるくま)神社に向かいます。
駅前からJR山口線沿いに県道201号線を北上します。堂の前町から東に右折して、大歳踏切を渡り、椹野川に架かる橋を渡る。古熊地区を真っ直ぐ進むと古熊神社に到着。
まだ雨は降っていませんが今にも降りそうです。
予想されてた混雑もなく、境内を散策することができました。
約20分位で参詣を終え、次の八坂神社へと来た道を折り返します。
途中から雨がポツリポツリと降り出しました。
堂の前町から北西に進み、県道204号線を渡ると、下竪小路(県道62号線)を上る。
右手に八坂神社の鳥居が見えて来ました。
ここから鳥居を抜けて八坂神社(国指定の重要文化財)へと入ります。
ここも参拝者が居ません、雨が降るので少ないのかな?八坂神社の境内にはもう一つ築山(つきやま)神社があります。(山口市指定有形文化財)
参詣を終え、次に山口大神宮へと向かう。
八坂神社から南に向かいます。
国道9号線バイパスの警察体育館前交差点を渡り、山口県庁前から旧山口藩庁門(山口城表門)を潜って駐車場前に出ました。
この横を通り、突き当たりの三叉路から左折して東へ向かうと、山口大神宮の前に到着。
ここには沢山の参拝者が来ています。露店も数多く出てました。
早速階段を登ります。ここで約30分の参詣時間を頂きます。
先ず、高嶺稲荷神社を参詣し、次は更に登ると山口大神宮の下宮に到着。
ここを参詣して内宮へと登る。
内宮の参詣を終えて来た参道を降ります。
もう一つの多賀(たが)神社を参詣してこれで終わりです。
因みに、山口大神宮は、永正17年(1520)に大内義興が朝廷に奏聞(そうもん)して勅許を得、伊勢皇大神宮のご分霊を勧請した神社である。
14世紀の中頃から、大内氏は山口に本拠を置いていたが、京都で応仁の乱がおこり、その兵火で京都が疲弊するに反して、山口の町は平和で豊かであった。それで都から移り住む公卿や文化人などが多く、山口は西の京都といわれる程の繁栄を誇った。
大内義興の時代、前将軍足利義植が京を追われ、山口に来て大内氏をたよったが、義興は、永正5年(1508)6月、これを奉じて上洛し、以後11年間、管領代として将軍に代わって日本の政治にあずかった。この間大内氏の武力と財力はよく京都の治安に任じ、義興が管領代であった11年間は、応仁の乱後京都にはじめて平和の気分がよみがえったという。
義興は京都に滞在中、永正11年(1514)に伊勢の皇大神宮に参拝した。この参拝については予め有職故実家の伊勢貞陸(いせさだみち)に作法慣例をたずね、その指示に従って周到な用意をしたという。参拝したら義興は、その森厳な神霊にうたれて、この大神宮を山口に勧請したいという気持ちをもったのである。
義興は永正15年8月に、京都を発って10月に11年ぶりに山口に帰ったのであるが、帰るとすぐに大神宮を勧請する用意にとりかかった。義興は自らその社地を視察し、高嶺の東麓を境内地と決め、すぐに社殿建立の御作事始めを行った。そして永正16年11月に下宮、17年4月に内宮が落成した。それで義興は天皇に大神宮勧請を奏聞し、勅許を得て17年6月29日に神霊を遷宮したのである。
当初は社号を「高嶺神明」と称えていたが、後柏原天皇から「高嶺大神宮」、後陽成天皇から「伊勢」の勅額を賜ったりしてから、「高嶺大神宮」「今伊勢」と称されるようになった。昭和3年、、社格が県社となり、「高嶺神社」と称することとなったが、昭和22年「山口大神宮」と改称した。
御神殿の造替遷宮のことは、永正17年、両宮御鎮座の後天文9年が21年目に当たったので造替された。この様に皇大神宮に範をとり、最初は21年目に式年遷宮を行ったが、それ以後は戦乱など時代の世相を反映して、必ずしも21年毎の式年遷宮は行われず、延期したり、規模を簡単にするというようなこともあった。近年では、明治12年、35年に式年遷宮が行われたが、その後は太平洋戦争のこともあり、昭和35年に造替、さらに平成12年に式年遷宮を行った。
伊勢皇大神宮から直接御分霊を受けて、太神宮社が創建されたのは、明治になるまでは日本国内では実にこの山口大神宮だけであった。以来御神徳は赫赫として現在に及んでいる。中世大内氏の太神宮尊崇は言うに及ばず、江戸時代、毛利氏の時代となっても、領主の社領寄進、鳥居建立など、ますます太神宮を尊んだ。江戸時代になって中国地方、北九州各地から参拝者も多くなり、西の御伊勢参りとか、山口参宮とかいった。江戸時代の伊勢信仰のまごころは、山口大神宮の参道脇に建つ日参一万は成就の多くの碑にによって知ることができる。現在でも初詣や節分の参拝のにぎわいは、人々の伊勢信仰のあらわれである。・・・山口大神宮のHPより
三社参りを終え、山口駅に戻ります。
あちこちに車を駐車してるようで、駅に着いたのは9名でした。
12:11の列車で新山口駅まで帰り昼食をとります。