アダルトチルドレンって言葉を知ったのは
随分と昔だ
程度としては
薄いグレーと仮定しても
やっぱりホワイトにあこがれてしまう
10代の頃から
連れ出してくれるイメージとしての恋愛に憧れつつ
会ったことのない父親や義父に似た男性に
惹かれる可能性にひどく怯えていた。
世の中に安定して優しい穏やかな男性なんていないと思っていた。
もしくは出会った私がその男性をおかしくしてしまわないか。
母親になりたいと願い、同等になりたくないと思った。
連鎖させてしまう、
孤独は物理的にひとりのときより
周囲に人がいるときの方が濃く、激しい。
さびしいとか生きづらいとか
叫び続ける、若しくはそれをなにかしらの作品として昇華させる
努力を惜しんだ私には残念な共存という選択肢しかない。
望むのは愛想笑いと抱き合わせの安寧よりも
息のできない瀬戸際の恐怖って自覚はあって
結構いかれてる、でも
ひとりが好きだからといってひとが嫌いなわけではないのだ。
流されたい消えたい、を死にたいに変質させないことが
今の私にできる精いっぱい
現実っていうやつで
妥協の産物
ひとが好きだと
そこそこまともだと
元気さを無意識に押し付け
こどもを通じて世間にむきになって証明している気がする。
母はそういう私を
似ちゃったかなあ、外面はいいけど偏屈で一人が好きみたいね
みたいな風にすまなそうに笑う
お酒を飲まず読書や歴史の好きな母は
漁師町の職人の家に私を引き取る為に後妻にはいった
趣味を分かち合えるような人はなく
私には母が東京湾に迷い込んだ金魚のように見えた
理由なくマウンティングとか
ひそひそするような人も世間にはたくさんいて
例えば連れ子として入った親戚の伯母は
義父が酔って話すないことないことを鵜呑みにして
母と私を責め立て
幼いころから同居の義祖母と伯母が一階の居間で母を悪し様に言うのを
おりられない階段の上で私は何度も黙ってきいた
私が優等生であるほどその風当たりは強くなって
母は私を黙って自分の貯蓄から大学進学させてくれた
この家から逃げられるように、だったのかはわからない。
アルコール依存や親と同居する嫁、介護、後妻であること
それは経験しなければ決してわからないことで
何もしない人ほど口を出し綺麗事で責めるのだ、と
もう十分すぎるほど頑張っているひとに、頑張りが足りないという人を
私は初めて軽蔑したと思う。
本家の嫁だし、そもそも本家云々なんてやんごとない家柄だけでしょう
何も悪いことはしていない
皮肉のひとつも返したれなんていいながらわかっている
気も弱くない、根性がないわけじゃない
きらいなひとだっていっぱいいる
周囲にあわせてくるくるいない人の悪口をいうことができない
ひとを責める自分に嫌気が差すから反撃も攻撃も苦手
下手なお世辞を言えなくても最低限の自分の居場所さえあればいい
ただそういう性質をもつだけで
その母を私はすきだし、私もその選択で不利益を被ってきても
これから変える気はないのだ。
相手を責める刃は自分に向けてしまう、どうしても
人がいいとかそういうことじゃない位はわかってる
生きづらい、敵前逃亡ともとられかねないその感受性を私は愛している
いなくなって
誰も自分を思い出してくれなくなっても
ちゃちな世間なんていらない
大切に思う人ほど甘える、頼るはむずかしい
自己評価が歪であっても
せめてこどもの未来には連鎖してくれるな、と祈りながら
生きるしかないのだ