霧雨と肌寒い秋
夏休みが終わって社会生活の戻りきれてない昨今
10時間の絶食でイラつきながらの二年ぶりの健診
体重が予想以上(笑)
健康体重ギリかな
母がかなり細身なのでそのうち痩せるだろうと
かなりな楽天主義者
数字で認識した後からなぜか足が痛む
走れない程じゃないけど
いきなり身体が自分の重さを理解したのかと
自分の間抜けに毎度ながら呆れつつ
SUBWAYのサンドイッチを二個も食しました。
すぐ職場に戻る気にもなれなくて
スマホのニュースをつらつら見た
自己責任とか自業自得って言葉がとげとげ目に入ってきて
料理動画に切り替える
ストレスを感じるものから逃げっぱなしじゃ駄目なんだけどね
もともと相互監視は協調性の負の側面だと思う
前述の言語通りの寛容の排除された環境にあれば
真っ先に切り捨てられる側の人間だろうから
健常者にも障碍者にもなりきれない
善人でも悪人にもなりきれないけれど
社会が安定する限り善人の顔をしていられる
そんなひとで世間は溢れている筈だ
だから自分を傷つけたいとは積極的には思わないけど
すべてが天使じゃなくても
こどもを守りたい
動物と食物の区別を曖昧にしたまま
生きものを可愛いと思う
その矛盾にうんざりして生きていきにくい人も
きっとたくさんいるんだろう
自分が運転できなくなってから
通ることの少なくなった首都高から見えるたくさんのビルと窓
そこにいる人たちが
きらいな人が足の小指タンスにぶつけろ程度の呪詛で
とどこおりなくしあわせに天寿を全うできることを祈る
世界のど真ん中に生きてるとは思わない
薄い和紙の向こう側くらいに感じている
希薄な現実感とやりあいながら
こどもたちが
なるべくやさしい世界で生きていけるように
私の消えたあとでもずっと
生き物の本能でもDNAの指令でもなんと呼ばれてもいい
たまたま
しなないで、と呼びかける
上野動物園のニュースを見ていました
電車が人身事故で止まらないでと祈り
そんな日は私もお世話になります
いいかげんでも
逃げ道はきっとある