今週は2回も
職場の飲み会がありました( ´Д` )ノ

お酒を飲んだのは昨夜だけなんですが
普段あまり食べないお肉料理が
美味しかったのでつい食べすぎました焼き鳥

美味しかったな~

わりと楽しかったな~

お財布と胃は疲れ気味~


どれも本当なんだよねビール






今朝は起きるのが億劫だったので
ゴロゴロしながら
読みかけの本のページをめくっていました。



これだけは知っておきたいPTSDとトラウマの基礎知識/創元社

¥2,592
Amazon.co.jp


まだ全部読んでいないのに
感想を書くのもなんですが、
まず私がすごいと感じたのは序文です。

以下、抜粋です。

●本書は、トラウマサバイバーの生活の質(QOL)の向上が、どのようなトラウマ回復プログラムにおいても最優先の関心事であり唯一の目的である、と提唱します。管理型医療による制約、証拠主義による混乱、そして製薬会社の競争という状況において、この基本的かつ必須の目標は、他の優先事項の影に隠されてしまうことがよくあるのです。

●本書中のどのような理論モデルであれ、考えであれ、観念であれ、それらは理論であり推察です。トラウマ性ストレスの分野は、過去数十年で飛躍的に発展したとはいえ、まったく疑いのない事実や真理といったものはいまだ発見されていません。たとえ科学や医学においてであっても、確定した事実といったものはほとんどないと私は認識しています。

●この「おことわり」から書き始めることを自分で義務づけているのですが、それは、私の(他の人のものであっても)信憑性のある意見を、完全に正しい結論としては受け取ってほしくないからです。科学や医学の他分野における知識は年月を経て変化し、進化するものですが、トラウマ分野においてもそれはまったく同じです。

●私たち一人ひとりは専門家の意見にしたがって、とりあえず自分の意見としているだけであるということです。意見を真理とを混同しないことが大切です


ここまで最初から書いちゃう本って
すごいよねー。

精神医療に限らず、いろんな手法の紹介に
「これさえあれば」みたいな謳い文句が
書いてあったりして、
でもそれってどうなのよ?
って、しょっちゅう思います。

でも、結局のところ人それぞれ

それならいっそ、この本みたいに
最初からそう書いてあれば
そのジャンル全体を眺められて、
その上で個別の手法について知ることができて
スッキリするってもんです。



このブログでは複雑性PTSDについて
私自身の経験に基づいて書いていますが、
それだって
あくまでも私の場合なんです。

それが他の人にとって有益な情報かどうかは
残念ながら分かりません。

それしかできません。
でも、そうすることができます。
だから書いています。

結果として役に立てばいいけれど
役に立つかどうかなんて分かりません。

役に立てばいいと思って書いていること自体が
私は好きです。

使命感なんてのは
ひとつのストーリーに過ぎないのかも知れません。
一種の思い込み。

それでも
ストーリーから完全に自由になって
生きるなんて
面白くないんじゃないかな。
っていうか、
そんなの無理だから大丈夫、
私の場合ね(笑)




ちょっと話は変わりますが、

「悪口を聞いても、その現象を分解すれば
 音(空気の振動)が鼓膜に伝わっているだけです。
 そのことを思えば辛さが減ります。」
みたいな事(←私の理解)を書いてある
ベストセラーが昔ありましたが、

んな訳ないだろーがよっ
(╬-A-)



(塩を舐めてもNaClの刺激だと思えば
しょっぱくないんでしょうか。)


あの本を読んで
どれぐらいの人がそれで納得したのか
私は知りたい。

もしかしたら
筆者の意図と違うとらえ方をしている
可能性はありますが、
かなりハッキリと書いてあったような
記憶があります。


事実(客観的)と真実(主観的)があるとして
どちらも本当でOKだと私は思います。

その上で、
私たちは宇宙の創造主ではないから、
主観的なものを否定しては
そもそも
話が始まらないんじゃないでしょうかね。


前回の投稿で書いた
ヒーラーさんのやり方についても
同じ事を思います。


まあ、私の場合はそう思いますが、
それでも本はベストセラーになったし
【私が感じたこと ≦ 当時の母親の気持ち(推測)】
という流れでセッションを収めようとしたヒーラーさんも
ちゃんとお客さんがついているし、

あ~
どれがいいか、合うかってのは
本当に人それぞれなんだな~
と思いました。

なんで売れるのか、
意味分かんない。
私には。

もう二度と本を買わないし
二度と行かないけどね。
私は。


この二つの件は私の地雷だから
私はこんなにイラッとするんだと
思いますよ。

自分が感じたことを否定されて
嫌な思いをしてきたから、
似たような事に
イラッとくるんです。

他の読者やお客さんにとっては
それが地雷じゃないから
同じことを読んだり言われても
ふ~ん、なんて
軽く流しているのかも知れませんね。



(追記。

その著者やヒーラーさんだって
そのすべてが悪い訳ではありません。

だからお客さんがついている。

そちらはそちらで
世界が回っている。

ただ、私にとっては
肝心なところが合いません。)







ちょっと
熱くなってしまいました。


ふぅ…(〃 ̄ω ̄〃ゞ











職場近くの公園で咲いていた
あじさいの花です。

まだ若い木で、
花もグー(こぶし)より
ちょっと小さいぐらい。

かわいい。

{1859E3DE-86BB-48C9-A65E-C15B06D78871}





さて、
先ほどの『PTSDとトラウマの基礎知識』
の話に戻りますが、
治療法についても人それぞれという立場を
貫いています。

第12章「治療法が有効かどうかの見極め方」から抜粋します。

★判断するのは誰か?
 ある療法、モデル、または治療行程が有効かどうか、最終的に判断するのはクライエント自身だということは、いくら強調しても協調しすぎるということはありません。しかし、この見方は、一種類の治療的介入や療法しか提供できない機関やプラクティショナーが相手の場合、すんなりとは受け入れてもらえないでしょう。一つの療法に専門家として固執する理由は、ある場合には個人的にそのスタイルが好みであるからだったりします。エビデンスベースを信じているからという場合もあります。また、仕事場や第三者支払人による制約のためということもあります。理由はどうあれ、クライエントがプラクティショナーを選ぶ際には、複数の治療モデルや治療団体のもとに訓練を受けており、いくつかの選択肢が提供できるような人を選ぶことを強くお勧めします。そうすれば、もし一つの介入方法が実を結ばなかったとしても、いくらでも柔軟に他の方法を試せるからです。


別のページには
私が通院時代に4年半受けた
EMDRについて記述があります。

大まかな説明に続いて、
こんなことが書いてありました。

●EMDRは、手順や主に認知に焦点をあてることが好きな人たちを惹きつけることでしょう。より大きく身体に焦点を当てることを求めている人たちや、記憶よりも現行の問題に取り組むことを優先したい人たちには適さないでしょう。



EMDRについては
別の機会に書こうと思いますが、
私の場合は
どうも根本的なところに
届かなかった気がするんですよね。


かなり改善しましたが、
4年半も掛けたわりには
どうも効果が薄いような気がします。


先生は真剣に治療に取り組んでくれましたが、
熱意があるとか
その治療法に精通しているという事と、
治療法がクライアントに適しているかどうかという事は、
残念ながら別のことだと思います。


治療法以外にも
いろんな事をたくさん、
聴いてもらいました。
じっくり、じっくり。

家庭も忙しいはずなのに
EMDRの学会で研究発表をしたり、
熱心でさわやかな先生でした。


ただ、ぜいたくを言うなら
私のような
身体のチャンネルが強いタイプに
向いている方法に、
通院を始めた段階で出会えたら
よかっただろうなーと思います。

学会に所属すると
それしか使えないとか、
いろいろ面倒なことが
きっとあるんだろうな。

その制約の中で
ベストを尽くしてくれた先生には
あらためて感謝したい。

それもこれも、
本当のことです。


手法だけがすべてじゃないけど
手法だって大事。

どっちも本当。


(追記。

★判断するのは誰か、の部分は、
あれこれ渡り歩いてきた経験から
私は本当にそうだなぁと感じますが、
特に地方に住んでいると
現実的にはかなり難しいと感じます。
クライアント自身が危機感を持って
情報収集をする必要がある
…とは思いますが、
私の文章を読んで関心を持つような人は
そもそも私が何か言わなくても
情報を得るために動いているだろうし、
何のために書いているのか
よく分からないといえば分かりません。)






今日は実家に行って
母から梅の実を
もらってきました。

今年は梅シロップを
作ろうかな♪


{AC4579F2-2664-4DDC-8156-F1DC8C17C4BE}


いろんなものが

私の心身で

未完了だったりしますが、

それでも断言しますよ。


私は両親が好きですよ。



世間にはいろんな親がいて

鬼畜のようなのもいるし、

愛情と弱さと狡さのミックスとか

人の数だけタイプがあると思います。


想像できない世界があるってことを

忘れずにいたいです。



痛い思いをしたときも

ころしたいほど憎んだし

同時に

根っこのところでは

愛していましたよ。


愛とか好きとか

便宜的に使いましたが

もっと適切な表現が

思いつきません。


このブログでは

両親にまつわる記憶やあれこれ

書いていますが、

本名ではなくペンネームで

ほぼ匿名でやっているのは

それによって「今」の両親が

責められるようなことは

私の本意ではないからです。



ブログを知人にあまり公開しないのも

そんな理由ですね。



(追記。

このブログの存在を知らせていない

知人や友人たちが

そういった誤解をしやすい人だ

という訳ではありません。


知らせるとしても、何となく

タイミングや気分で

非常にゆっくりとしたペースで

お知らせしています。


人に読まれる文章を書くとき

あまり人の視線や意見を意識すると

筆が鈍ることがあるので

ごめんねーと思いながら

書くことを優先させてもらってます。


複雑性PTSDとは関係のない

何てことのない記事も書きますが

自己開示をすることが目的ではないので

今のところ、こんな感じでやってます。)


(追記。

いろいろなことがあったのは

本当のことだから

ブログの目的上

その部分を書きますが、

それは部分でしかない訳です。


それなのに、

そうじゃない部分が伝わらず

「takopenさんの親は酷い人間だ」

と思われたり

私という人間についても

このブログに書いているような面だけが

強い印象を与えてしまったり

しがちだと思います。

生身の私のリアルな「今」を

伝えることには限界がある。)


どうも大切な部分がいびつに

伝わってしまう。



微妙なニュアンスが伝わらないまま

大切な部分が誤解されたまま

日常生活の「今」が

浸食されるのは

想像しただけで面倒くさいです。



友達に親の名前を

呼び捨てにされただけで

不快になりますよ、私は。



ただ、

私の不具合の根っこに

両親の弱さのようなものが

関わっていて、

読み解くほどに

心身が楽になるっていうのも

本当です。


どちらも無かったことには

しませんよ。



両親や家族や友人

あるいは

ブログを読んでくださる方。


「どちらも本当」なんて

よく分からない

信じられない

そういう方もいるかも知れません。


一見矛盾しているから

なんか気持ち悪いし。


特に父親に関しては

いい時と悪い状態の時の

ギャップが大きくて

一つの像が結べないような

理解し難いところもありましたが。


それも本当、これも本当。

だから大変なんだよなー

私の場合は。





また、

「それも本当、これも本当」

という考え方は大切ですが、

私は私だから

私の感覚と立場で

ものを言わせてもらいます。



だから、前回の記事

「便宜的であれ」

という部分を修正しました。


回復を目的としたときに

当人の気持ちに立つことを

便宜的だなんて

私はちっとも思っていないから。


否定するタイプの方に

百歩譲って、

という意味で書きましたが、

なんだそれー

何の意味も無いじゃないか。



かっこつけるのやめました。



どれも本当。

どれでもいい。

それが前提だからこそ、

私の考えを

自分を主語にして言っていい。


いちいち

「私の場合」なんて書くのは

面倒くさい。


当たり前の事だから。





久し振りに

大森荘蔵さんのエッセイを

読みたくなりました。

時は流れず/青土社

¥1,944
Amazon.co.jp


物と心 (ちくま学芸文庫)/筑摩書房

¥1,512
Amazon.co.jp






実家でケガをして

一人暮らしを始めた頃に

図書館で借りて読んでました。


内容はあまり覚えていないけど

視点が面白くて大好きでした。


「それも本当、これも本当」

っていう視点は

学生時代の友人О君の

エピソード
もありますが、

大森さんのエッセイからも

ヒントをもらったような気がします。








感覚も

環境も

何もかも

人それぞれ

なんだよね。



だけど

それぞれの旅の途中で

私の言葉が

参考に、あるいは

イタい奴…反面教師としてであれ

誰かの役に立つのならば

ひとりの旅人として

嬉しく思います。




共に歩く一人旅、ね。






今日の夕陽です。 

母から梅をもらって帰るとき。


お隣さんのあじさいが

咲いていました。



{F26443AF-C6EC-4418-B606-7FBC0677D3E9}




今日はあれもこれも書きたくて

かなり長くなりました。


ここまで読んでいただき、

本当にありがとうございました。