今朝は4時頃に目が覚めました。


少しずつ明るくなる

カーテンの隙間の光を眺めながら、

静けさと呼吸が心地よくて

布団の中で

体の感覚を味わっていました。


ダンスやライブの後には

こんなふうに

心身の巡りがどかーん!と

よく通ることがあります。




朝食もいつもより

早めにとりました。



ごみステーションの近くに

いつもきれいな花が咲いています。

誰が手入れをしてくれているんだろうなカラフルなお花♪

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一週間ほど投稿を休んでいる間は

思いついたことを

カホンの練習をしながら

あれこれ泳がせていました。


ただ腰かけてパソコンや机に向かうよりも

思考が自由にフワフワと変形するので

動きを観察するのが面白いんですよ。

散歩してるみたい。

瞑想のような状態になるのかな。



そんな中で

私のいろんな不具合の根っこに

「見捨てられ不安」のようなものが

共通して関係しているな~と

あらためて、

そして、一層鮮明に見えてきました。


親自身が見捨てる気持ちがあったかどうか

ってのはあまり関係なくて

私自身がどう感じて受け取ったのか

ということが

今の私にとっては大切です。


セラピーを受け始めてから戻ってきた

欠けていた記憶の断片。


4年半のEMDRを使ったカウンセリングで

自分の口調と声と感覚が

オートマチック車のギアが変わるように

グッと一段、変化して

一度だけストップを掛けられた

その時の場面。


ハコミセラピー

繰り返し出てきた望みは

「守ってほしい」

「甘えたい」



そういった事を

考えてみても、

やはりそこがツボらしい。



5月に体調を崩したときに頂いた

温かいメッセージに

ボロボロと涙が止まらなかったことで、

「あーこんな風に寄り添って欲しかったんだな」

と気付いてからの

今日までの流れです。



「困ったときに助けてもらえない」

「危機の時に守ってもらえない」

ってのは、

行動範囲が限られる子供にとっては

世界が危険に満ちていると

感じられるものなんですよ、きっと。



私が一度お世話になったヒーラーさんで

「それでもお母さんは申し訳ない気持ちを持っていた」

など、主語を当時の母にして

私の気持ちを否定したがる人がいましたが、

客観的?事実がどうであるかって事と

自分がどう感じて受け取ったかって事とは別のもので、

どちらも本当であってオーケーなんです。

私はそう思います。


ただ、便宜的にであれ

回復するためにまず立つべき場所は

後者だと私は思います。





さて、私は毎日

夫の朝食にゆで卵を作っているのですが、

焦ると手元が狂って

うまく剥けた試しがないんです。


それぐらいなら大した問題じゃないんですが、

他人から急かされたり

自分で「早くしなきゃ」と思ったりすると、

おかしいぐらいにミスしまくって

パソコンのキーボードが

入力できなくなったり、

働く場面になると

小さなことが

小さなことで済まされなくなる場面ってのが

多いんですよ。


たまたま細かくてスピードが要求される

職業だったのもありますが、

食べて生きていくために支障があるのは

本当に困ると思ったからこそ

必死であれこれ試してきました。


爬虫類の脳に血流が集中して

理性や思考の部分に

血液が回らなくなるという

仕組みになっているようです。


PTSDについてちゃんと知ったのは

3年前ぐらいです。



あ、また話が逸れちゃいました。


そんな具合で手元が狂うことについて

ここ最近試してみて

お、いけるかも?

と手ごたえを感じている方法があります。


急ぐ(急かされる)自分を

守ってくれる自分を

自分の中にイメージすることです。


急かす人がいたり

急がなきゃいけないことは

日常にあるので、

そんな時に

「急げって言ってるけど、大丈夫」

って言ってくれるもう一人の自分を

身近に感じます。


ダイレクトに自分が

危機にさらされない感じ。


守ってもらえる感じ。


言ってくれる、というより

そんなまなざしで

そんな気持ちで寄り添ってくれる

という表現が近いかもしれません。


どうも私は

アファメーションとか

言葉だけじゃあまり効かないみたいです。


体感覚が優位なタイプだからかな。


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今朝もきれいに

ゆで卵が剥けましたよ(^^♪