空気はひんやり

日差しは春。









ブログもフェイスブックも

ほとんど冬眠中ですが

元気に生きております。



キャパシティが小さめなので

寝る 食べる はたらく 家事する

シンプルな生活

それも悪くないと思うこの頃です。




最近また本を読みたいと

思うようになりました。


実用書じゃなくて

小説や手記とか。



先月読んだのは

小野田寛郎さんの本。

『たった一人の30年戦争』
『わがルバン島の30年戦争』

たった一人の30年戦争/東京新聞出版局

¥1,730
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わがルバン島の30年戦争 (1974年)/講談社

¥950
Amazon.co.jp


図書館の書庫にありました。




フィリピンの島にゲリラ戦で潜伏して

終戦を知らずに
(本人なりの合理的な根拠があって信じずに)

1974年に帰国した方です。


ウィキペディアの記載はこちら



読んで涙が止まりませんでした。



昨年のクリスマス頃から

自分が担ってきた役割というもの

お役目だと、どこか信じてきたものが

自分だけが大切にしてきたまぼろしだったと

感覚的に気付いてしまって

虚しさがいっぱいでした。

(参照:過去の記事



どうすればいいんだろう

私の長年の信念体系や行動って

いったい何だったんだろう。。。



「根本的な解決」
「決定的な何か」
「ゴール」

なんて、無い。

無かったんだ。



そんなとき、

ふと思い出したのが

小野田さんのエピソード。



信じてきたものが

まぼろしだったと分かったときに

長年その中で時間を捧げて闘ってきた人が

何を思い

どんなふうに

その後の人生を生きたのか?


参考になることがあるかと思って。




日本の敗戦をビラやラジオ放送で見聞きしても

本人なりの根拠や世界観によって分析して

信じなかった小野田さんが

本当に終戦を受け入れたのは

元の上官からの

任務解除の命令を受けたときだったんだって。



地元の師匠(カウンセラー)の講座で

チラリと聞いたエピソードを

思い出しました。



小野田さんの戦いと

私なりの戦いは

まったく種類やレベルが違うものですが


おどろくほど

自分が思い込みの中で生きているときの姿と

似ているところがあると感じました。


私にとっての

「上官」や「命令」って

何だったんだろうね。




もっと、小野田さんのことを知りたい。


おそらく「平和日本」になじめずに

兄のいるブラジルで牧場を営んだその後。


そして

日本の子供のために設立した

「小野田自然塾」のこと。



何となく知っていたつもりの人が

とんでもなくすごい人だったんだと

本人の言葉に接して初めて知りました。




どんな時でも

何かのストーリーを生きてはいるのだけれど

ストーリーを生きちゃってるのが人間だと

気付いても

本気で感じて動いて生きてる


嬉しい 悲しい 腹が立つ 愛おしい。


私はそれしかできないし

それでいいんだと思う。




なーんか

いろいろ頑張ってきたことが

どーでもよくなっちゃったよぉ。


なーんて

書いてても

また本気で

泣いたり笑ったり


忙しいな。。。




もしかすると、やっぱり

何かからの卒業って

こういう

妙な感覚なのかな。



典型的に思い描きやすいような

「わーい!ハッピーでーす!」

っていう

分かりやすいものだけが

いわゆるしあわせ、ではない

のかも知れない。




日差しに春を感じて

パソコンを開いたら

あっという間に時間が経ちました。


ご近所さんが

雪かきをする音が聞こえます。



みなさま 今日もよい一日を心