今日は芸術祭のリハーサルを見に行ってきました。

収穫を終えた田んぼの中で

ダンスや演劇、歌などのパフォーマンスが行われます。






本番は明日ですが

仕事があるので今日を満喫。

 
お月様が見えていました。

明日も見えるかな~







近くのスタジアムからは
サッカー観戦の音が聞こえてきました。

あぁ。
そっちでは、サッカー好きな皆さんが
楽しんでいるのね。

それぞれの好きなこと。

近くの同じ空間に
別々の宇宙が
人の数だけ
あるんだなぁ。






動く身体、音、ことば、空間。

眺めながらぼんやりと

思いました。






傍観者や評論家は
飽きたなぁ~、と。
やってる方が面白いだろう、と。

傍観者でいるなら
そのメリットや安らぎを
自覚していればいい。


もう、何でもいいんだよ(笑)
いいって感じるんなら。


その個体にとって健やかであることと
他人が設定する健全さって
どうしようもなく違うよね。
違う宇宙だから。


こんなに
ノビノビとでこぼこで
とっても豊かで
意味なんて無さそうで
ただ面白そう。

よく分かんないけど
なんか面白い投げKISS




そういえば
幼い頃から
こういう世界の
住人だった。


母はフォークダンスが好きだったし
幼いころはお芝居に
よく連れて行ってもらった。



そして、

動きたいように動く
ってことを

アート とか
セラピー とか
スポーツ とか

分類してもいいし
分類しなくてもいい。



「マイナスからゼロ」
とか
「ゼロからプラス」
とか
つい考えていたけれど

あれ、
ゼロって何だっけ??




昨日は仕事の後にプールで泳いで

水の中は体が浮くから
「動きたい動き」をするのにピッタリだ
とか

バタフライの動きが気持ちいいのは
背骨を動かすからだろうか?
とか

またまた
そんな事ばかり
考えていたんだけど


なんだか
「治る」ってことが
どうでもよくなってしまった。


「やりたいこと」
「わくわく」
ってのは
何となく胡散臭く聞こえちゃう。


ダンスのとき
他者に対して閉じている身体を意識するのは
楽チンではないけれど
それでもやっぱり面白い。


仕事は楽チンではないけれど
お金が得られるし
お金だけではない
何かがある。




で?
どうしたいの?


べつに「やりたいこと」
なんて
無いね(笑)

パーカッションとかヨガみたいなもの
それをやめろって言われたら
命が干からびちゃうから
絶対にやめないけど。

やりたいっていうか
必要だから
っていうだけで。

シェアするとか
主催するとか
そういう感じでは無い。

パーカッションなら
何でもいいって訳でもない。
伴奏はしばらく休みたい。


生活の一部にそれが無いと
干からびちゃう。

それがあると思うと
呼吸が深くなる。





●結婚前に
母親に釘を刺されたことを
帰りの運転中に
思い出しました。

「パーカッションをやりたいから
 離婚とか
 そんな事に、ならないように。」と。


●無職になった時に
演奏を自粛したのは
自分で制限をしていただけでした。

「働いていないのに
 人前で演奏するのは控えたい。」と。

別に夫は反対もしていなかった。



●夫の父(義父)が自死したあとに
パーカッションを自粛したのは
母親の意向をそのまんま飲みました。

「パーカッションはしばらく休んで
 家にいて隣にいてあげなさい。」

結局、自分の仕事も大変になったり
いろいろあって
半年後に
離婚覚悟で家出をしました。



●通院中に
主治医に言われたことを
夕食中に
思い出しました。

「パーカッションは
 続けた方がいいよ。
 やめない方がいいよ。」



今のところ
講師とか
ドラムサークルのファシリテーターを
するようなレベルではなく
ただ好きなだけなんですが。

無いと、干からびます。

そういう性質なんだよなー

ってことで
どうぞヨロシク(。・ω・。)ノ




いつも以上に
とりとめもない独り言。

読んで頂き
ありがとうございましたいじけ虫