今日の夕方
父方の祖母が息を引き取りました。

97歳でした。
たぶん老衰です。

自宅に戻って顔を見て
おでこに手を当てたら
まだ少し温かかったです。

3年前の祖父の時と同じく、
孫とひ孫の全員が会いに来るのを
待っていてくれました。

妹が会いに来たら
近いかも知れない気がして
こちらに書きましたが
27日に会いに行って良かったです。

眠っていたけれど
いっぱい話を聞いてもらって
手を握って
背中をなでて
呼吸から反応を感じて、
会話ができたと思っています。

「(妹)が赤ちゃんを授かったよ。
 明日会いに来るんだよ。」
と言ったら、
呼吸がすーっと深くなって
興奮したように見えたし、

「今日は(亡くなった叔父)の命日だから、手を合わせてきたよ。大丈夫だよ。」
と言ったら、不意打ちで驚いたように見えました。


かなり進んだ認知症で、さらに
眠っているような状態で
話すことができなくても
ちゃんと感じるんだと思います。

ばーちゃん、
頑張ったね。

ありがとう。

紳ちゃん(私の弟)やおじいちゃんに
会えるね。


星空 星空 星空 星空 星空 星空 星空


わたしが
家系の痛みを無かったことにはしない、と
同時に
悼むお役目を卒業する、と
自分で決めたから
ばーちゃんは安心したと思う。

隣で一緒に悼む、想う。
ただし
決して人の分まで背負わない。


…そういえば、亡くなる数時間前、
正直に「授かるのが怖い」と
私は夫に伝えた。 

同時に、授かったらいいなとも思う、と。

批判されたり
「年齢的に限界だ」と説教されたり
聞いてもらえない覚悟で話したら
今日は聴いてくれた。

嬉しかった。



私の妄想世界のストーリーは
私が描きます。

そして
私の妄想世界と
他人の妄想世界は
どんなに親しくても
別の宇宙です。


お空の上にも
伝わったんだと思う。

何回かディープなセラピーを受けて
「もう、解放されていいんだよ」
というメッセージを受け取っても
私がまだ執着していた。

親に対する大きな感情の詰まりを
バーッと感じ切って出したあとに
ものすごく寂しさを感じることがあった。

馴染んだものは
苦しくても、そこにいた方が楽だし
憎むことで繋がっていられる。

そんなの知ってた
けれど、
時が来て
自分から湧いてきたら
初めて自分の言葉になる。


準備は整っていた。
あとは私次第ね。

長い間のお役目だから
手放してからどうすればいいか
見当がつかない。

頭で考えても
長年の習慣だから
変化は行きつ戻りつ、
かも知れない。

こういう表現が適切かどうか分からないけど
ざっくり言うと
今までのやり方に飽きたんだわね~

まずは自分が助かって
人も助かる
一石二鳥を目指しますハート

その方が結果的に助かるし、
面白いような気がする。



ふらふらとでも
慣れた場所から
一歩ずつ踏み出して行こう。

一歩ずつ。
一歩ずつね。




ばーちゃんの好きなチョコレート。
こっそり供えてきたよ(o^^o)