間違いなくこの建物の中では
動物は嘘をつかない。
人間だけが嘘をつく。
もしドドンとキキ様が嘘をつくとしたならば
わたしはその瞬間から
生きていくことが地獄となっていく。
それは
自分が愛する人(猫)に
嘘をつかれたということなのではない。
わたしが愛する人(猫)に
嘘をつかせてしまったという
自信喪失による自己嫌悪感以外
何ものでもないからだ。
わたしは表立って言ったことはないが
なぜかウソを見破る能力が高い、、
と、自負している。
そう、つまり
「人が良い」の反対でしかない。
そのため、
人一倍ウソをつかれて生きてきたと
思い込んでしまっている部分もある。
人はたいてい何気ないウソをつくものだ。
思いやりやいたわり、愛のあるウソは
贈り物なので、ありがたく受け取れるが
それ以外だと
そのウソが大きくても小さくても、
そして笑いを誘うようなウソでも
「やっぱり」ウソだったとわかってしまうと
当たり前だがいいキモチはしないし
時には傷つき、落ち込むこともあり、
やっかいなのはウソをついた相手や、まわりに
そんな自分を見せないようにすることだ。
顔で笑って心で泣く、という
まさにそんな場面が立て続けに起きたりすると
やけのやんぱちとなり、
わたしはアルコールを飲めない体質なので、
ドカ食いや
後にガラクタ化してしまうであろう雑貨、
今必要のないものなど少額ではあるが
やたらと多く買ってしまうしかなかった。
そう、SDGs に逆行するので
とても良くないことだった。
お叱りを受けるかもしれないが
政治や芸能のつくウソなんて
わたしからすれば、、だが
大して気にならないことの方が多い気がする。
直接ウソという矢が
わたしに刺さるわけではないので
気にも止めずに生活できてしまうのだ。
その証拠に、去年どころか
先月の政治や芸能の話なんて
大ニュースでもなければ、いやそれさえも
思い出すこともなく生活できている。
だが友人や同僚となると
それは実に生々しくわたしに関わってくる。
なぜなら彼らは
わたしの眼の前に存在していて
わたしと対面しながら話すからだ。
相手は
うまくウソをついているつもりなのかも
しれないが、悲しいかな、
わたしにはウソだとわかってしまうことが
多すぎた。
わたしは
話をおもしろくするための誇張すら
ウソをつかれるのは悲しい。
なぜなら、笑わせてくれるよりも
わたしは信じさせたままにしてほしいからだ。
ウソの領域に入ってしまうほど誇張されると、
わたしはひねくれ者なので
「真実を話す相手」ではなく
「笑わせる相手」として
見られていることに
落ち込むのだ。
使い勝手の悪いわたしは
きっと人を信じる心が干からびて
カチカチに固まってしまっているのだろう。
我ながらなんとも痛々しい、、
嘘に騙されないコツがあるとすれば、
最初から信じないということかも知れない。
喜びは減るかもしれないが
傷つくことも明らかになくなるだろう。
そしていつの間にか
人に自分の感情を委ねることをやめていき、
では、
何に自分の感情を委ねればいいのだろうか。
わたしの感情を無防備に委ねられるものなど
果たしてみつかるのだろうか。
そんな中、突然贈り物が降ってきた。
以前は人と人の出会いは奇跡だと思っていた。
だが人は誰しも選択しながら生きている訳で、
それはつまり出会うべくして出会えたとも
言えなくはないだろうか。
それよりも、お互いに、もしくは
片方が選択できないのに出会えたとしたら
それは「もっと奇跡」だと
言えるのではないだろうか、、、
そう、
ドドンとわたし、
キキ様とわたしのことだ。
わたしは二つの「もっと奇跡」を
手に入れることができたのだ。
なぜなら彼らには
選択などできない生活しかなかったのだから。
彼らにとっては奇跡でも
わたしには選択権があった訳だからだ。
ドドンとキキ様のおかげで
やけのやんぱちになることも全くなくなり
SDGsに反することもなくなった。
それどころか
悲しみや憤りといった嫌な感情を
抱え込んだまま、
為す術もなく過ぎていく時の流れのなかで
苦しむこともない。
だが世の中にはそれ以上の
「最上級の奇跡」と言うものが存在していた。
なぜなら、ドドンもキキ様も
お互いに自分で選択なんてできない保護を経て
出会えたのだから、、、
その意味では
ドドンとキキ様の出会い、
「最上級の奇跡」に
わたしは大いに嫉妬している。
これこそ正に大奇跡だと思うし
わたしが人間である以上
絶対にこの大奇跡は起きない。
餌が欲しくて媚びるのは嘘ではない。
エサを手に入れるための手段だからだ。
甘えたいのにツンツンするのも嘘ではない。
愛のトリックに決まっている。
ドドンとキキ様と一緒に居れさえすれば
そこには一ミリの嘘もなく、だから
私は無防備なわたしでいられる。
当然わたしの感情は
ドドンとキキ様に委ねられることとなる。
ドドンとキキ様の息遣いや臭い、
ご機嫌具合を胸深く吸い込みながら
わたしは何の疑いももたずに
時の流れとともにきょうも生きていける。








