母とはかなり関係が良くなったのだけど、まだ時々「あれっ?」と思うことを言われることはある。
最近よく言われるのは、私の股関節痛に関して。
別に私は痛いとか騒がないんだけど、やっぱり見るからに歩き方が変なときがあるので「痛いの?」と言われれば、「まぁ歩くと痛いよ」などと現状報告はするわけです。
すると、鬼の首を取ったように、もしくはさもさも悔しそうに、
「これでアンタも私がどんなに痛かったかわかったでしょ!!」
と言い放つのです。加えて、
「ああぁ、私はアンタの年ぐらいからどんどん痛くなって、最後は手術した、アンタもそうなる!」
などと「呪い」までかけるわけです。
「呪い」は私が聞かないから成就しないので、まぁいい。
問題は、「どんなに痛かったかわかったでしょ!」の方だ。
母が股関節が痛くて大変だったとき、私達姉妹は協力し助け、ねぎらい、最大限優しくしたと思う。
決して母の痛みを聞き流したり我慢しろとか年だとか酷い言葉は言っていない。
なのに、なぜ、今手術も成功して杖なしで元気に歩けているのに、母は恨みがましいことを言うのだろうか。
考えた。
で、思いついた。
この人はよっぽど何かねぎらわれたり労われたりしたいのだ。
ただしかし、今何かで労わって欲しいのでも、その時の痛かった思いについてさかのぼってねぎらったりいたわったりして欲しいのでもなくて、もっと根本的に、自分のことをいたわって欲しいのだ。
よほど「癒えていない何か」があるのだろう。
で、それは彼女の心の中の問題なので、私たち外側に求め続けても満足は得られない。
自分で自分をねぎらって、みとめてやらないかぎり、その渇きは永遠に続くの。
それに私は付き合わない。
母は自分が戦後の物のない時に苦労して(我慢させられて)育ったことを、私が恵まれた現在に生きていることで罪悪感で一杯になるくらいに私に吹き込みながら育てた。
それは時代のせいでしょうがないかな、と思ったんだけど、よくよく思い出したら母の語る苦労と貧乏話の半分は母の母が子供の頃に親の事業が失敗して子供なのに女中に出されて学校にも行かれなくて、、、という祖母の苦労話も混じっていた。
(ここ重要!)
たぶん、母は祖母にたっぷり祖母の子供時代の苦労話を聞かされて恩着せがましくされて我慢を強いられて、自分の素直な要求を出すことに罪悪感を植え付けられたのだろう。
「罪悪感の連鎖」だ。
母1人の問題だけでなくて、母も祖母からもらった何かから抜け出せていないから、今もああなのだ!
そんなことを考えていたら、まさにそのものズバリの話を斎藤一人さんが話している動画があった。
斎藤さんは「劣等感」って言葉を使っている。
あまりにもこのところ考えていたことの通りだったから、なんか笑った。
親が恩着せがましくて圧迫的な人は、この話聞くといいよ、長いけど。
劣等感の連鎖は、自分は気が付けば断ち切れます。
人の劣等感は「ああ、あの魂もあと10回ぐらい生まれ変わればいい感じに抜けるだろうな」と思うしかないらしいです。(^○^)
最近よく言われるのは、私の股関節痛に関して。
別に私は痛いとか騒がないんだけど、やっぱり見るからに歩き方が変なときがあるので「痛いの?」と言われれば、「まぁ歩くと痛いよ」などと現状報告はするわけです。
すると、鬼の首を取ったように、もしくはさもさも悔しそうに、
「これでアンタも私がどんなに痛かったかわかったでしょ!!」
と言い放つのです。加えて、
「ああぁ、私はアンタの年ぐらいからどんどん痛くなって、最後は手術した、アンタもそうなる!」
などと「呪い」までかけるわけです。
「呪い」は私が聞かないから成就しないので、まぁいい。
問題は、「どんなに痛かったかわかったでしょ!」の方だ。
母が股関節が痛くて大変だったとき、私達姉妹は協力し助け、ねぎらい、最大限優しくしたと思う。
決して母の痛みを聞き流したり我慢しろとか年だとか酷い言葉は言っていない。
なのに、なぜ、今手術も成功して杖なしで元気に歩けているのに、母は恨みがましいことを言うのだろうか。
考えた。
で、思いついた。
この人はよっぽど何かねぎらわれたり労われたりしたいのだ。
ただしかし、今何かで労わって欲しいのでも、その時の痛かった思いについてさかのぼってねぎらったりいたわったりして欲しいのでもなくて、もっと根本的に、自分のことをいたわって欲しいのだ。
よほど「癒えていない何か」があるのだろう。
で、それは彼女の心の中の問題なので、私たち外側に求め続けても満足は得られない。
自分で自分をねぎらって、みとめてやらないかぎり、その渇きは永遠に続くの。
それに私は付き合わない。
母は自分が戦後の物のない時に苦労して(我慢させられて)育ったことを、私が恵まれた現在に生きていることで罪悪感で一杯になるくらいに私に吹き込みながら育てた。
それは時代のせいでしょうがないかな、と思ったんだけど、よくよく思い出したら母の語る苦労と貧乏話の半分は母の母が子供の頃に親の事業が失敗して子供なのに女中に出されて学校にも行かれなくて、、、という祖母の苦労話も混じっていた。
(ここ重要!)
たぶん、母は祖母にたっぷり祖母の子供時代の苦労話を聞かされて恩着せがましくされて我慢を強いられて、自分の素直な要求を出すことに罪悪感を植え付けられたのだろう。
「罪悪感の連鎖」だ。
母1人の問題だけでなくて、母も祖母からもらった何かから抜け出せていないから、今もああなのだ!
そんなことを考えていたら、まさにそのものズバリの話を斎藤一人さんが話している動画があった。
斎藤さんは「劣等感」って言葉を使っている。
あまりにもこのところ考えていたことの通りだったから、なんか笑った。
親が恩着せがましくて圧迫的な人は、この話聞くといいよ、長いけど。
劣等感の連鎖は、自分は気が付けば断ち切れます。
人の劣等感は「ああ、あの魂もあと10回ぐらい生まれ変わればいい感じに抜けるだろうな」と思うしかないらしいです。(^○^)