先週水曜日に半日着ていた着物の記録をUPしてからは移動&東京生活。

29日ーASA博田方式の整体に行く。東京泊まり。

30日ー陶芸教室。東京の家に直帰してやっと懸案事項だった「筆ぐるめ」のバージョンアップ。
これだけのためにノートPC持って東京に来た。

31日ー陶芸教室。東京の家に直帰して、母が着付け教室の新年会に出る着物と帯、帯揚げ帯締めなどを一緒に選ぶ。母は凄い数の帯揚げを持っているんだけど、色味が違っても彩度が同じかんじのものばかり持っているので、けっこう難航する。
帯揚げがぼんやりしていたりくすんだ色調だといい着物でも良く見えないんだよね。
帯揚げも帯締めも色だけでなく帯との格が揃わないといけないから、なかなかフォーマルな着物というのは普段着物とちがって悩ましい。
でも、2人であーでもないこうでもない、と時間をかけて選ぶのは楽しい作業だった。
母が居なくなったら着物は私に譲られるだろうが、着物のコーディーネイトをワイワイ言いながら考える相方がいなくなってしまう。
それは非常に淋しいことだろう。
着物仲間を作りたいなあ。

1日ー陶芸教室。山梨に直帰して、晩御飯と晩酌。
股関節が移動と労働でぶり返して悪くなってしまって、今日は歩くのがちょっと難しかった。
疲れていてお風呂もパスしたいけど、お風呂は大事なので頑張って入りました。

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最近、東京の実家が妹が働き始めて活気がある事も手伝って非常に和やかで明るくてよろしい。

なんたって76歳の後家と50歳と47歳の行かず後家のメリーウイドウ共同体だから、労わりあってささやかに楽しくやっていこうとみんな秘かに腹の底で決めたって感じだ。
(50と47って、字で書くと凄いよね。うちの妹って下手すると地味なオタクの高校生くらいにしか見えないんだけどね。)

こういうささやかに楽しく、というのが実は大変危ういバランスに乗って実現されている、すべての守ってくださる存在が最大限に守ってくださっての稀有の最善だということを、私はもう知っている。
明日同じ幸せが続くとは誰にもわからない。
だから毎晩床につくたびに、毎朝仏壇に手を合わすたびに、有難いと感謝の気持ちを思わずにはいられない。
最近あんまり色々感謝したかったりすべてを大切で愛しいと思ったりしちゃうので、自分は突然死でもしちまうんじゃないかしら、と思っちゃうほどだけど、偽悪的になってもしょうがないもんね。

明日は今日と同じ幸せは続かないかもしれないけれど、明日体験する状況もまた私のサポート軍団が最大限に守ってくれての最善。
明日もどう転んでも最善を生かしてもらって、人生を味わうのだ。