したくないことは、やっぱりしないでいいんだと思う。

朝ランは先週2回だけして、今週はする機会もあるのにしていない。
これは、「なんとなくしたくない」ので放っておいてみる。
イスに長く座っていると左の股関節が異常に痛くなってしまうので、何かで見かけた
「トイレに行くたびに部屋のコーナーでスクワット5,6回」というのをしてみて足の力(と精神力)がついてからまた再開できると思う。

時々写経グッズを横目で眺めては「またやろうかな」と思うけど、心が忙しくてできない。
これは心の問題なので、やっぱり再開できると思う。
写経は結局5枚仕上げただけになりましたが、それでも随分筆を扱う勉強にはなったようで、先日売れた作品の箱書きをしていたら書道家の叔母の連れ合いに上手い、と褒めてもらえた。
やっぱりやろう。
もしかして今度は般若心経でなくて延命十句観音経でもいいかな。


瞑想は、お風呂の中で倍音瞑想だけしています。
声を出しながら声のバイブレーションが体のどこに響くのかじっと観察するタイプ。
上江洲先生の法玉明想は、もっと気が向いて来たら、します。

「わたば修行する!」モードが私の場合作品が出来ないことへの悪あがきの結果だった、と嫌で堪らなかった前回の個展を乗り切って解るので
今度修行モードを開始するならば、もっと淡々と何も求めずにできる気持ちになってからにします。

私の場合本当に最後のネックは自分の最愛の制作なんだ。
随分人生楽になったけれど、その分一番自分が大事なよりどころとしてきた制作についてが、自分が学生の頃の、何も考えずにどかどか作っていたころから大きく外れてきてしまっているのを感じている。
今、自分の12畳のプレハブの仕事場で内職みたいな地味な作業をしながら、その感覚を思い出してみているところ。