ものを買うのが幸せだった時代があるんだよね。

今 私は東京の家に泊まる時は仏壇とビアノと母の着付け練習用ボディと、、蛸家の過去の遺物がぎゅうぎゅうの部屋に寝てるわけです。
(仏壇は今、に関連するもんだけど。)

私はものを持ちすぎると疲れるタチなので、家の改築の時にかなりバッサバッサ蛸家のものを捨ててきた。いらないもの、今後必要ないものをみているとドキドキして頭がいたくなった。
この部屋にあるものはそういう私の「粛清」から逃れた運の良い、しかし殆どただ「ある」だけのもの。

こうやって寝転んで決してもう出番のない雛人形の箱なんか見ていると、いつもは頭痛くなってきたりしたんだけど今日は
「もの」を買うのが「幸せ」だった頃って確かにあったんだなー、としみじみ思った。

貧しかった戦後の日本人がジワジワとあれも買えるようになった、これも次には買えるかも、と心を踊らせて物を買った時代。
買ったものが光輝いていた時代。
子供が欲しがっていたものをどうにか買ってやれた時の、親の心の底から沸き上がるような喜びと誇らしさ。
ここにあるものは、そうやってこの家に来たんだ・

と 急にお腹にズドンと解った。

ささやかだったり微妙に悪趣味でも健気な日本の若き庶民だった親達の姿が物に被って見えてきて、ちょっと泣けた。

この家に今ある総ては、美しい。
「断捨離」の開運からは外れているけど、このゴタゴタを「開運したいから」捨ててしまうというのも何か違うのかもしれない、と(今日は)思った。