実は昨日は全然作業できないで、寝てた・というよりグデッとしながらイライラしてネット見てる、という最悪パターンをしていました。

一昨日の夜に何度も怖い夢と金縛りで起きて、朝になってもグッタリ。
個展の作業もしなきゃ、12月の展示のプラン提出もある、
明日明後日は陶芸教室の仕事だ!2日も作業出来ないで間に合うのか??
休みたいけどあんまり代講頼むのも悪い、、、
でも休みたい。
いや、気持ち無理すれば・いや、だからその無理が無理なんだって。

等々ぐるぐる考えて寝るでもなく起きるでもなく、代講を探すでもなく、気持ちを切り替えて仕事するでもなく、ただ何にも踏ん切り付かなくて1日空費してしまった。
忙しいとか時間が足りないとか言っていて、なんでネットサーフィンで時間が潰せるのか自分でも不可解なんだけど、私は追い詰められる一歩前くらいにこういう馬鹿馬鹿しい逃避をよくやる。
頭で自分を叱ったりカレンダーの日にちを数えたりして脅しても、全然体が動かない。

私はやる気モードとダメモードの落差が激しい「キムラ」さんなんですわ。
これは子供のころからそうで、それもまた母から激しく叱られたりする原因にもなっていた。

大人になっても、ついになおらなかったなぁー。
昨日の23時位までそういう自分を嘲ったり悲しい気持ちで見ていたりしたんだけど

視点を変えて 諦める、というか認めてみた。

作業、したくないならしないでみよう。
仕事、行きたくないならとりあえず寝て起きて、判断しよう。
ここまで嫌だ、気が向かない、体が動かない、というのは何か理由がある。
ただのダメな大人の言い訳かもしれないけど、心がこんなに休みたいなら、休みたい自分を責めないようにしよう。

怠け者でもいつも頑張ってる人でなくても、神様目線では等しく愛されてるはず。
その「愛されてる」もいつも頑張ってる人達が無条件に愛されてる感じと線引きされて「そんな君でも見捨ててないよ、神様優しいから。」というオメコボシ的な「ランク下の愛されてる」ではなくて、

全くイコールに、同等に、ただ「愛されてる」、はずだ。

少し楽になって寝た。


今朝目覚めて、結局仕事は休みました。
昨日は自分で意識しているよりずっと体調悪かったみたい。
そういうことって少し快復してこないと解らないもんなんだね。

私は自分が疲れたと思うポイントが意識と実際でズレているみたいだ。
たぶん、自分が「ちょっと」疲れたと思う時には「かなり」疲れてるのかもしれない。
病後であるとか年齢的なものとかで前の自分と違うのかもしれないけど、 もう「限界ギリギリまでやる」のは知らないうちに限界を越えてるみたいだ。

なんで限界に気がつかないでやってしまうのか。

自分がずっと「頑張る信仰」に囚われていて、「頑張る」を勝手に神様に貢物というか「愛され賄賂」にして神様に贈賄しようとしてきたからだ。

頑張ってもそうでなくても、実は結果は同じ。
今までは頑張ったら報われる世界にいたけれど、これからは別に頑張らなくてもちゃんと大丈夫な世界に生きます。

本当に今までいかに頑張ってるから高級だとか緩いからダメだとか、そういう線引きに囚われていたことか。
的場さん言うところの天使界、の生き方がやっと腑に落ちてきた。