日記や「なう」が入院以来滞り気味です。
これは入院を境に「頭が黙った」んですよ。
日常の些細なことの段取りやら制作上の予定なんかは浮かぶし入退院の前後の出来事なんかは記録しておいた方が後々役に立つから書くんだけど。
人生初、ってくらい自分の頭の中が自分に突っ込まなくなった。
まさに無風。
心の揺れなんかは、まだある。
例えば今日抜糸に行ったら主治医の井上先生に退院に際してのアンケートについて当てこすりを言われた。
退院の時に入院全般へのアンケートを書かされるのだけど、無記名っていっても退院日時や苦情の内容で誰が書いたか丸わかりだ。
でも、やっぱりドレーン入れ直しや井上先生の「尋問」など嫌だった事は正直に書いた。
誉めたい事、良かった事も沢山書いたけど。
そうしたらやっぱり、今日それに関しての当てこすりを言われた。
ああ、やっぱり気持ち良くはないよね、私だって皮肉の1つも言うかもね、と思ったり
自分も陶芸教室の生徒さんにいちいち苦情の投書をされたら堪らないよね、我慢するべきだったかな、とも帰り道にちょっと考えた。
でも、結局気持ちを溜めないで良かったし、何事においても「良い」も「悪い」もないんだよね、だから良いかな、という落とし処に落ち着いた。
こういう場合、前なら感情の振り幅がもっと激しかった。
胸や頭が実際に痛くなるほど激しく感情が揺れ動いた。
まだ退院して1週間位の話にすぎないけど、なんか「感情」と距離ができた。
激しい感情、落ち込むとか怒りや自己嫌悪などだけでなく変な高揚感や感動、そういうものが自分の目線の少し下の階層に漂っているのを黙って見ているような。
他人から漂って来る願望や期待みたいなものも前の通りに感じちゃうんだけど、「それはそれで自分は」というのが前よりさらっと通せるようになったみたいな気もする。
なかなか楽で、快適だ。
そしてこの「頭が無風」をこれで良い、と自分がちゃんと解ってるのが、す ご く 良 い 。
わかってきたじゃん、私。(笑)
これは入院を境に「頭が黙った」んですよ。
日常の些細なことの段取りやら制作上の予定なんかは浮かぶし入退院の前後の出来事なんかは記録しておいた方が後々役に立つから書くんだけど。
人生初、ってくらい自分の頭の中が自分に突っ込まなくなった。
まさに無風。
心の揺れなんかは、まだある。
例えば今日抜糸に行ったら主治医の井上先生に退院に際してのアンケートについて当てこすりを言われた。
退院の時に入院全般へのアンケートを書かされるのだけど、無記名っていっても退院日時や苦情の内容で誰が書いたか丸わかりだ。
でも、やっぱりドレーン入れ直しや井上先生の「尋問」など嫌だった事は正直に書いた。
誉めたい事、良かった事も沢山書いたけど。
そうしたらやっぱり、今日それに関しての当てこすりを言われた。
ああ、やっぱり気持ち良くはないよね、私だって皮肉の1つも言うかもね、と思ったり
自分も陶芸教室の生徒さんにいちいち苦情の投書をされたら堪らないよね、我慢するべきだったかな、とも帰り道にちょっと考えた。
でも、結局気持ちを溜めないで良かったし、何事においても「良い」も「悪い」もないんだよね、だから良いかな、という落とし処に落ち着いた。
こういう場合、前なら感情の振り幅がもっと激しかった。
胸や頭が実際に痛くなるほど激しく感情が揺れ動いた。
まだ退院して1週間位の話にすぎないけど、なんか「感情」と距離ができた。
激しい感情、落ち込むとか怒りや自己嫌悪などだけでなく変な高揚感や感動、そういうものが自分の目線の少し下の階層に漂っているのを黙って見ているような。
他人から漂って来る願望や期待みたいなものも前の通りに感じちゃうんだけど、「それはそれで自分は」というのが前よりさらっと通せるようになったみたいな気もする。
なかなか楽で、快適だ。
そしてこの「頭が無風」をこれで良い、と自分がちゃんと解ってるのが、す ご く 良 い 。
わかってきたじゃん、私。(笑)