今日ダーッと書いた「なう」のまとめから。


〇「向上心」が変身願望に繋がるというのに反発があったけど、自分が陶芸においてまさにそうしているというのに気が付いた。自己否定をともなった向上心は、自分を見失うのの典型。

〇自分は、「さらにますます自分になる・自分が自分であることを思い出そう」というのが今年の目標だったはずで。「自分でない者になろう」では逆。しかし、それは現状のままでいろということではもちろんない。

〇最近作るのが楽しくないのは自分本来のラインを蔑にして妙に他の作家を意識したりしてたからだろう。(ああ、でもここが難しい。誰かかああいうものを作っているなら、それ以上のクオリティの物を作らなきゃ物を新しく作る意味はあるのか・いや、もともと人はそれぞれに違うものを作っているはずだ)

〇昨日台湾から帰ってきためちゃくちゃに壊れた自分の作品を見ていたら、悔しくて同じものをまた作らなければ、と思う。つまり自分は自分の作品に飽きていない。作ってから2年経っても作品の魅力も変わっていない。私は何を焦ったり卑下したりしているのだろうか。

〇どうして今までの路線で物を作ってはいけないと思ったのだろうか。たぶん、いろんな外からの声に自分で勝手に縮こまっただけだろうな。人の作品ってホント、観ちゃいけない時ってあるな。


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先日知り合いの画廊で見てきたグループ展二つのように「気楽に楽しく作られた(かのように見える)作品」の良さというものを再発見して、
そもそも自分が陶芸を始めた時のことを振り返ってみたりして、
自分が変な方に苦しんでいたのに気が付くこともある。

一概に人の作品を観ない方がいいというわけではない。

ってか、今までどっちかというと他人の良い作品を見ると元気が出たのになぁ。

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とりあえず、今日のキモ1。

〇自己否定をともなった向上心は、自分を見失うのの典型。

確かにそういう向上心は自分を見失わせて、自分がこのようにしたい、こうありたいというものを外に作ってしまい、それじゃ全然「向上」出来ないばかりか自分の足元をどんどん細らせてしまう。
このところそんなことをやってきていた、のは気が付いた。

今日のキモ2。

〇「みつろう」さんのツイートを読んでいて思った。「向上したい向上したい」ってつぶやく=「オマエなんかてんでダメダメ」と心に染み込ます=ダメな俺の出来上がり、の構図だ。ああ、これかぁ。

みつろうさんのツイートは、これ。↓

「偉くなりたい、偉くなりたい」と言えば言うほど、「私は偉くない、私は偉くない」と心がツブヤイテいたのだ。
そんなにも、君は、偉くないのかい?


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(番外)

これも好きだなぁ。みつろうさんのアンチっているみたいだけど、とりあえず只管打坐をこのくらい私にわかるように説明してくれる自信があってからアンチになった方がいいと思うけどね。↓

「全ては生まれながらに仏であると偉い坊さんは言ってる。でも、そんな偉い坊さんも、修行している。生まれながらに仏なら、なんで、あいつら、修行するんだ?」By道元

 http://ameblo.jp/mitsulow/entry-11383548518.html