今、ほとんど生まれて初めてくらいに具象の作品を作っている。
具体的に言うと、「手」。
一昨年散々苦労して取った自分の手の石膏の型どりを見ながら磁器で作っている。
手、というのはそれなりの勘所を押さえておけば大体「手」に見えるので、作っていて思ったよりも楽しい。
手本に近づけていくデッサン的楽しみ、みたいな感じ。
具象を作る人達の楽しみというものが少しわかった。
前は具象というのは実在の形に制約されて苦しい、と思っていた。
(私は予備校生時代に石膏デッサンというのがとても苦手だった。顏が似ないとか、プロポーションが狂うとか、そういうつまらないところで。今ならもっと楽しめると思う)
昨日「手」と他の作品4つの祖形を作って生乾きさせて、今日は「手」の左手だけしか着手できなかった。
頭で計画した予定より遅くなるのはいつものことだ。
今日夕飯を食べながら「なんでも鑑定団」を見ていたら猪熊弦一郎の絵が出てきて。
猪熊は50になってから突如抽象絵画を始めたということだった。
作家の作風は突如脈絡もなく変わったっていいんだよね、と励まされた。
猪熊が言っているように「挑戦がなければ発見はない」なんだよね。
こんなことを書くのは、多くの陶芸家は自分の作風を確立したらそれを続けて掘り下げて熟達して、私の様にフラフラしないから。
自分で私みたいなのは、バカで損なやり方かもしれないなぁと思っていて。
でも、少し励まされたよ。
体調は、頭がちょっと痛い。ので・もう速攻で寝ます。
今日は何もなく寝られなすように。
具体的に言うと、「手」。
一昨年散々苦労して取った自分の手の石膏の型どりを見ながら磁器で作っている。
手、というのはそれなりの勘所を押さえておけば大体「手」に見えるので、作っていて思ったよりも楽しい。
手本に近づけていくデッサン的楽しみ、みたいな感じ。
具象を作る人達の楽しみというものが少しわかった。
前は具象というのは実在の形に制約されて苦しい、と思っていた。
(私は予備校生時代に石膏デッサンというのがとても苦手だった。顏が似ないとか、プロポーションが狂うとか、そういうつまらないところで。今ならもっと楽しめると思う)
昨日「手」と他の作品4つの祖形を作って生乾きさせて、今日は「手」の左手だけしか着手できなかった。
頭で計画した予定より遅くなるのはいつものことだ。
今日夕飯を食べながら「なんでも鑑定団」を見ていたら猪熊弦一郎の絵が出てきて。
猪熊は50になってから突如抽象絵画を始めたということだった。
作家の作風は突如脈絡もなく変わったっていいんだよね、と励まされた。
猪熊が言っているように「挑戦がなければ発見はない」なんだよね。
こんなことを書くのは、多くの陶芸家は自分の作風を確立したらそれを続けて掘り下げて熟達して、私の様にフラフラしないから。
自分で私みたいなのは、バカで損なやり方かもしれないなぁと思っていて。
でも、少し励まされたよ。
体調は、頭がちょっと痛い。ので・もう速攻で寝ます。
今日は何もなく寝られなすように。