時々、何年かごとにこのエモーションの波にさらわれるのだけれど。

陶芸家の今の生活とか、実は全然どうでもよい。
世の中に「主張」したいこともない。
私より上手い作家も頑張ってる作家もやる気のある作家もたくさんいる。

私にとって作ること・とは。
生きるために、狂ったり自殺しないために作ることが必要だっただけだ。
今、作ることがなくても生きていける自分、生きていても死んでいても大丈夫な自分がある以上、作ることにしがみついている意味なんてそんなに無い。

自然農法のアシュラムにでも入って、日々農作業と祈りと実感だけを抱えて生きて行きたい。

今迄も何度もそう思って、大学生活をやめようとしたり、全部引き払うつもりでWOOFに登録したり。
でも決心するたびに大きな展示や海外プログラムのお声かかりがあって、陶芸に引き戻されてきた。

今回はどうなんだろう?

作ることは嫌いじゃない、だけど野菜やお米を作るより大事なこととは思えない。
ず~っとそう思ってきた。
そういう風に思うのは制作の辛さからの逃げかと思ってみたりもしたけれど、
「辛い」なら別にもうヤメロ、
「自分は辛くても周りを失望させたくない」ならますますヤメロ、だ。

古今東西、こんなにやめようかどうしようかと腰がひけたまま続ける美術家がいたんだろうか。

作ることが命をつなぐ何かに繋がっていることが、もっと実感できればいいんだけど。
・・・・若冲は青物問屋の旦那より画家になった方が、人類の幸せのためになったと思える。
私も、と思うほど私はロマンチストでないんだわ。


こういう話をすると、「でも、貴女の仕事は誰にでもできるわけじゃない、農作業はそういう「能力」がなくてもできるから」と励まされるというか説得されるんだけど。

私が飢えても美術が大事、とは思えないせいだろうか。
美術が身の回りに普通にありすぎて贅沢な悩みに落ち込んでいるだけなのかな。


でもたとえ百姓になっても僧になっても、何か作ってしまうことからは足を洗えないだろう。
昔好きだった観念で「半農半X」というのがあったけど、、まず目指すのはそこか?


今日、「地球少女アルジュナ」なる2001年放映のエコロジーと原発問題と食糧問題がテーマのアニメのダイジェストを見てしまったせいでこんなに考え込むことになったんだろうか。
も~、今日はこれを次々見倒して「オーツル」に行って種と苗を買って来て一日終わったよ。
興味ある人は、以下のダイジェストでも観てみてください。

私としては自分が学生時代から惹かれていた「藁一本の革命」や「地球交響曲」の世界で自然な世界観なんだけど。一般には今でもこのアニメは「電波」「トンデモ」系って言われて黙殺されているらしいですが。