さて、勉強会から一夜明けてもあんまり不愉快で不健康で邪悪ですらある体験だったので、まだ怒りやモヤっとした感じと、「身の汚れ」みたいな感覚がなくならなかった。

そこでどこかに出かけよう!という気分になり、そんなに好きじゃないんだよね、と二の足を踏んでいた六本木・森美術館の「会田誠展:天才でごめんなさい」の最終日に行くことにした。
これですね。

http://www.mori.art.museum/contents/aidamakoto_main/

会田誠、について知らない人は以下をどうぞ。

Wiki

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9A%E7%94%B0%E8%AA%A0

作品画像

http://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=slv1-tospcc1&p=%E4%BC%9A%E7%94%B0%E8%AA%A0+%E4%BD%9C%E5%93%81

(画像には間違って村上隆のものも貼られていますが。)

「日本現代美術は会田誠に尽きる」とまで言われて、私も確かにそうは思うんだけど、良い作品と外しちゃった作品の落差が大きくて、無視はできないけど好きと言い切れない作家でもありました。

会田誠と言えば 「あぜ道」などに代表される美少女LOVEと日本文化の権威をおちょくるもの・
「巨大フジタ隊員vsキングギドラ」に代表される日本画のオールドマスターのイタダキと過激なエログロをぶつけたもの・
「紐育空爆図」「戦争画RETUARNS」に代表される割とまじめで社会派なもの・
正直外しまくっているパフォーマンスやら大きな立体やら、なのですが。

本当に学生時代の課題を含む初期から最近作まで網羅されていて見ごたえがあった。

会田誠は、とにかく日本画のイタダキをしながら既存の権威をおちょくりまくる他に、というか並列して、「とにかく女子高校生くらいの若い女が好き、食べたりバラバラにしたいほど好き」という主張が徹底している。

日本美術史に永遠に残るでっかい名作春画「巨大フジ隊員vsキングギドラ」(北斎の蛸と海女の春画のパロディね)に代表される18禁作品の実物の数々に驚くべき気品があることに感動し、
平安朝の美麗な継紙に繊細な筆文字で源氏物語の様に書かれたネットの罵詈雑言や
巨大ジューサーに詰め込まれた裸の女たちの巨大絵画や
ぽつんと立った白い木の杭に筆文字で 酒はひとりで呑め と書かれてる 「俺の平和」なる作品や、

開いた口がふさがらないようなお下劣なエロやひざの後ろをかっくん、と押されるような虚脱するバカ作品を見ているうちに、す~っと体から毒が抜けていくのを感じた。
多分会田誠の作品の馬鹿馬鹿しさと毒と言い切り感が私の出会った矮小で邪悪なものを払ったんだと思う。
神事の芸能でエロと笑いをセットにしたものがよくあるけれど、意味が分かった気がした。

会田誠、ここまでエロとバカに徹底していて絶対にヒューマニズムとかに色目を使わないのは偉いよなぁ、
この人はいついかなる時も自分の価値観で決定しているよなぁ。
な~んか、私もものつくりの端くれなのに自分の外に修行の規範を求めようとしたり、修行して見性したいとか・ブレてたよなぁ、バカだったなぁ~。
なんて・虚脱しつつも浄化されながら、しみじみ自分を反省したわけですよ。

あたし、作家じゃん。いつだって「自明灯」じゃん。
会田誠みたいに「若い女が好き」だって掲げきれば立派な「自明灯」なんだよね。

などと謙虚な気持ちになりながら「人工食用少女 美味ちゃん」とか人犬を扱った「雪月花」などの18禁部屋を感慨深く出てきたわけです。

ふと・入場制限もあり賑わっている18禁部屋の外に、照明も当てられず地味に飾られた、ニコちゃんマークみたいな赤い顔がいっぱい描かれてところどころにうわごとみたいな手書きの文字が入っている、両界曼荼羅みたいな形態の、布の作品に気が付いた。
これが何だか、白隠の書みたいに、無視できない妙なパワーを出している。

「河口湖曼荼羅」と題されたそれには、長い説明書きがあった。
曰く「大学2年の時に友人たちと車で河口湖に行った 道中友人が道に迷って軽自動車の後部座席で長い時間揺られているうちに 「俺=世界=源」である とか いわゆるワンネスみたいなものの観念が急に訪れて異常な至福に包まれて その後何日かは呆けたようにただ笑って過ごした
この作品はその体験をどうにか作品化しようとしてその年の芸祭に出したものである

そこで1枚の作品も作らずに人生を終わっていれば自分の人生は完璧だっただろうが、結局生き延びて違う傾向の作品を作っている」と・いうようなこと。

いやいや、この一作で死ななくて良かったよ会田画伯。
画伯のバカさとエロさには世界の果てまで行って戻ってきた、体験の厚み・選択の決意があるんだね。

こんな背景を知らなくたって、会田画伯がそんじょそこらの一発屋の紙屑芸人みたいな態度の美術家とは違うのは解っていたけど、やっぱりこういうことだったんだね。
おみそれいたしました、画伯、私もしっかり自分の価値観で立ちます。


これが2月から続いた私の「いっちょ真面目に修行しちゃうか?」体験の締めでした。

一周して振出しに戻ったみたいな空虚な気分になっていたけれど、先日書いた「大神社展」からのインスピレーションなどから、やっぱり修業ごっこはやっていこうというところで、今は落ち着きました。

長い長い文章をおつきあいくださって、ありがとう。
書くことで整理が付きました、本当にありがとう。