前の記事のコメント欄で「たまちゃん」に対する違和感を読んでくれた人と共有したので、今更書かないでもいいかな、とも思いつつ尻切れトンボになっても良くないと思うので、書き続けます。

特にたまちゃんのご説で違和感があったのが「権力」の話でした。
「スピリチュアル」は揺るぎない自分を培い現実を見定める力をつけることである、と。ここは良い。
それには2つの修養の方向があり、1つはチャクラを強化する=五感を磨くことである、と。
短期には一定期間(ひと月に1週間程度)徹底的に自分の五感に集中したり、頭の中の思考が黙ってしまうような肉体的な体験・滝行や山登りをしたり神社参拝や瞑想をする、
長期的には人生のあらゆる場で芸術に触れる・食に関することに繊細になる・体を使ったスポーツ、農作業、工芸品を作るなどをする。(これ・・・・私は結構してると思うんだけどね)

もうひとつの回路としてあるのが「(自分を構成している)パウダーを繊細にする」ことでそれは自分を知る、「内観」であると。
「内観」って「五感に耳を澄ます」こととはどうも違うようで、ここで唐突に「自分の中の権力を見つけ出すことを繰り返す」ことなのだそうだ。

ここでパウダーだのチャクラだのの説明もしなきゃならないなぁ。(はぁ)
たまちゃんの「チャクラとパウダー論」によると、この世界は全て「パウダー」でできているという事で。
これはヴィバッサナー瞑想をした人の体験記でもそれをありありと知る体験をしたという手記があったり、「笑えるスピリチュアル」のみつろうさんと上江洲先生の対談でもみつろうさんが量子理論を持ち出して話題にしていたので、「みんなそういうなぁ」くらいのもんで違和感ない。
人は血族に代表されるような荒いパウダーから宇宙の根源の細かいパウダーまでを混在して持っているということで、あらゆる人間生活の中で「パウダー」が撹拌されてぶつかり合って、細かくなっていく、ということだ。
「感情を揺らす」こと=どうしようもない怒りや悲しみ、いわゆる人生の節目(親の死や自分の壁)にあたり、その時に感情を出しながら観察していくとパウダーが細かく(高次元化?)なり、そのパウダーは「自分色」になる、そうだ。 まぁ、違和感はない。

チャクラとは何かというと、パウダーを循環させるエネルギー装置、と考えてもらえばいい、と。
一番例えでわかりやすいのは水槽に空気を入れるエアポンプのブクブクみたいなもんだ、と思ってくれればいいと。
パウダーが細かくてチャクラの弱い人は不安感が強い人になり、パウダーが荒くてチャクラが強いと周囲に不安を巻き散らかす(迷惑な、って感じで言ってた)人になる、とか。

んで・たまちゃんは全然ハッキリ言明もしないしブログでも書いていないところを私たこが推測するに、「内観」でパウダーを細かくする、ということはパウダー同士がぶつかって撹拌されている時=感情が波立ったりしている時に、どうなっているのか「観察せよ」ということらしく。
その「内観」が曖昧になってしまうので五感を鍛えて、五感を言語化することでそれを心の内観に連動させろ、ということみたい。

(このへんもう、たまちゃんのプリントも雑だしここまで彼女のブログを読み直したりして苦労して言葉にしたよ。たまちゃんに腹が立ってるって話を書こうとしているのになんて丁寧な女なんだ、アタシは。)

で、「内観」で「自分の中の権力を見つけ出すことを繰り返す」という説明に来て、唐突に「そうだ、権力の説明をしなきゃ」みたいな流れになりました。
平らに言うと、ど~もたまちゃんによると向上心とか上昇志向的な発想は全部「権力」みたいです。
「権力」とは「他者」がいるときに自分を守りたいから出てくる発想だそうで、
感謝されたい・必要とされたい・変身願望・幸せになりたい・等々の気持ちだそうで。
それぞれ「なぜそうなりたいのか」を考えると
感謝されたい・は 感謝されない人を可哀想だと思っている→自分より下を作り出すことで自分が成り立つ
変身願望・は あの人は素晴らしくこういう人は可哀想だと思っている→自分より下を作り自分は素晴らしいと思い込みが成り立つ
幸せになりたい・すら ああいう人が幸せでこういう人は不幸せだと思っている→自分より下を作り自分は幸せなのだと思い込みを成りたたせるために出てくるんだそうだ。

「思考の中で下の存在を作り出し続けなければ不安はついてまわる」そうで。
そうやって不安から逃れるために下の存在を作り続けるのが「権力者」で、
「その権力者は 人の為と言い 感謝を促し、 そういうことが幸せだと説き そうすれば なりたい自分になれると言う。」 
と一足飛びに「教祖様批判」に繋げちゃって(^_^.)
「権力の連鎖」構造につながる、とプリントでは結んでいる。

あの~、「内観」と権力の関係はどうなるですか?
私は幸せになりたいという気持ちが「自分の下にそうでない人を作りたい」なんてことになっているとは思わないし、私の向上したい気持ち全般が「他人を下に作りたい」からなんて思いませんが、
よしんば自分のそうした心の動きが(たとえば私の向上心が「変身願望」だったらさ)「権力」だったとして、 ど う す る の ?
ただ、そうだなぁ~と見つめるの?なぜ、なぜ、なぜ、と無くなるまで追い詰めていくの??
そこのところの具体的なアプローチの解説が全然、もうぜんっぜん無かったのでした。(^_^.)
ただただ、違和感と不快な感じの中に置き去りにされて。

ああ、ごめんなさい、たまちゃん話がこの記事で終わらなかったよ。
でも、どのように不快だったか私も書かないと解らないので、ご勘弁を。
言われたことが図星だったから不快だったらどうしよう、と思うと「嫌なことは忘れちゃおう」ってわけにもいかないじゃないですか。