成瀬雅春先生の倍音声明ワークショップはレポした通り面白かったです、「肉体的」「現象的」に。
感覚を刺激してトリップ感があるような感じで、上江洲先生の静かな明想とは真逆なアプローチ。

どこから入っても結局は同じ場所に導かれるんだから、好みだと言えばそうなんだよな、と結局それからは倍音声明瞑想40分、明想20分くらいの分量で毎日瞑想だけは欠かさずやってきていました。

自分の手応えの中ではあんまり瞑想が深まったとも思わないけど、周りの人や世間がますます優しくなってきた印象はあって、それは「なんちゃって瞑想」でもそれなりに「効いている」感はあったとですよ。(急になまってみる)

だけど、瞑想をやっていてすっごく気になることがあって。
それが倍音声明で感触が良かったので買った、成瀬雅春先生の「瞑想法の極意で開く精神世界の扉」に、ずばりって感じで書いてあった。


>座って瞑想すれば自動的に深くなっていくと思っている人や、
>そういう指導をする人も多いが、それは危険な事だ。
>もし自動的に瞑想が深まったとしても、それは決して良い事ではない。
>車のスピードがいきなり百キロになってしまい、コントロールできないのと同じだ。
>私の経験からすると、瞑想は少なくとも4段変速のように、ギアチェンジが必要なのだ。
                       (「瞑想の極意で・・・」より抜粋)


私は、若い頃に非常に追い詰められた精神状態で瞑想していた時に、体から意識が引っこ抜かれるような、前頭葉から「自分」が体の外に飛び出しかけるような、経験したことのない怖い感じになったことがあります。
その時は「そっちに今行くわけにはいかない!」と瞬時に踏ん張ったけど、段階を経ないでいきなりブッ飛びかけたか、ネガティブな心理状態だったので「魔」に付け入られたか、そんなとこだったと思います。


>自分の存在を認識し、自分を可能な限り識ること(我識)から始めなければ、正しい瞑想には向かわない。(中略)
>これから瞑想を始める人はその部分(我識)があいまいな瞑想法は絶対に避けた方がいい。
>なぜなら瞑想を進めていくにしたがって、多くの問題が発生し、自分ではコントロールできない事態に陥ってしまう可能性が大きいからだ。
>神秘体験をすることが、瞑想に熟達したことだと思っている人が多いようだが、それはとんでもない勘違いだ。
>ほとんどの場合の神秘体験はハプニングかアクシデントなのだ。
>神秘体験をすればいいというのではなく、神秘体験をしたときにどの程度冷静に対処できるかということが、最も重要な瞑想テクニックなのだ。
                                  (同 抜粋)

そう、誠にその通り・と思う。
その、アクシデントに正しく対応できるようになるための、テクニックが欲しいと思った。

成瀬先生の本を読み切ったけれど、あまりにもたくさんの情報が詰め込んであって私は何から始めたらいいのか、逆に頭の中がとっ散らかってしまった。
(瞑想自体をやめちゃうっていう発想はないってところがもう確実に「変」なのかもしれないんだけどね。)

そんなタイミングで、倍音声明のイベントを主催したMスタジオの「たまちゃん」の個人的勉強会に参加する日になった。
「たまちゃん」は成瀬先生のお弟子さんであるし、実践的な「五感を鍛える行」と自分の感覚を観察し続ける「内観」を提唱している人なので、地に足が付いた瞑想のガイドになるかもしれないと、とりあえず期待した。